不思議なお話NO15 人類として受けいれがたい仮説その2 

 不思議なお話No12の続きです。前回は、次の言葉で終わっています。
「宇宙に関する知識は、歳差運動にしろニネバ聖数にしろ、それを導き出すための、膨大な情報と計算式があったはずで、それを蓄積する媒体としての粘土板は到底受けいれがたいと言わざるを得ません。もちろん、神々が結論だけを教えたと言うなら、それもあり得るかもしれませんが、もう一つの可能性も棄てがたいのです。
 それは、シュメール人達は紙の製造方法を知っていたが、自然災害、蛮族の侵攻等により文明を保持することが難しい時代を経て、その知識が失われてしまい、やむなく手近にあった粘土板で代用したという可能性です」
 と言うのは、現在学者達が研究する、楔形文字が記された粘土板は、近年紀元前2600年頃のものも発見されていましすが、それ以外の殆どは紀元前2000年から紀元前1700年頃に制作されたものだということです。では、それ以前は文字を持たなかったのでしょうか?
 何度も書きますが、シュメール文明が突如世界史上に姿を現したのは紀元前3800年頃で、出現と同時に周辺諸族を圧倒する文明を以てって栄えたのです。その文明に文字がなかったとは考えられず、その媒体も、その高度に発達した文明に相応の媒体があったはずだと僕は思っており、従って楔形文字の粘土板が出現した紀元前2600年頃には、シュメール文明は衰退期に入っていたとしか思えないのです。

 私の知識は17年前のもので、その後更新されていないので、ちょっと自信がないのですが、シュメールの地で3メートルを越す洪水跡の地層が発見され、その洪水がシュメールの地を泥流で飲み込んだのは、紀元前3000年紀だったと記憶しています。この大洪水により、シュメールの文明が滅び、生き残った人々はその僅かな記憶を元に、シュメールの文化を細々と繋いでいったのではないかと、僕は考えているわけです。
 また、紀元前2400年紀にアッカド王朝(セム語族)が成立しましたが、これはシュメール民族が当初からセム語族との混血を余儀なくされていたとはいえ、豊穣の地を目指すアッカド人を含むセム語族、次いでやってきたセム系アムール人の侵攻に歯止めが効かなくなり、結局アッカド人にその主役の座を譲るしかなかったのだと思うのです。

 何時の時代にも、蛮族は豊穣の地を目指します。シュメール人達の地に蛮族が押し寄せるのは歴史の必然でした。とにかく、一粒の麦で20〜80倍もの収穫のあったのですから。これは現在のヨーロッパの15〜16倍という生産統計から見ても優れた農業技術と豊かな土壌に恵まれていたことを示しています。
 洪水によって壊滅的な打撃を受けた灌漑施設の復旧は相当の時間を要したでしょうし、洪水はメソポタミアの多くの人々の糧を奪い、飢えた人々が雪崩を打ってその地へ押し寄せて来るのが目に見えるようです。彼らは物乞いではありません。強奪者・殺戮者なのですから、いかにシュメールの人々が苦労したか、そしてこの地を逃げ出したくなったか想像に難くありません。

 さて、このシュメール人とまったく同じ運命をたどった民族がいます。地中海世界をパスクロマーナを旗印に一大文明地帯を築いたローマ人達です。文明地帯とは誰もが命の危険を感じることのない平和な生活環境と生きる糧である食料供給が確保されている地域のことです。
 何処がどう似ているかと言いますと、シュメール人もローマ人も貧民に対する生活保障となる小麦粉の無料配布ををしていますし、そうした弱者に対する法律も整備されているほど、法律を重んじる人々でした。また王政(ローマ人はその後共和制に移行するが)であるにもかかわらず、元老員(シュメールでは長老会議)の許可がなければ、王でさえ国事の決定もままならないという、民主的なシステムを保持していたこと(参考文献:ギルガメシュとアッガ)などがあげられます。
 そして、両者に最も共通すると思われるのは、ローマ人は征服した蛮族、ガリアやゲルマンと混血し、彼らに農業を教え、食料の安定供給を確保させていますし、ローマへと続く舗装道路の建設まで引き受けているのです。
 一方、シュメール人達も、先住者であるウバイド文化の担い手達と混血し、彼らに麦の飛躍的増産を可能にする灌漑技術を教え、彼らから文化を教えてくれた人々という意味のシュメール人という尊称を与えられています。
 つまり、シュメール人達は、ローマ人と同じように、周囲の蛮族を超越した高い精神文化を持った人々であって、その精神文化が高いがゆえに周囲の蛮族を圧倒するパワーをその内に秘めていたのではないかと思っているのです。
 今から5800年前に、何故シュメール人だけが、その高い精神文化を持っていたかは謎ですが、彼らが家族のために働く、農民であったり、商人であったり、またある者は比較的地位の高い書記や医者であったりと、ごく普通の人々であって、実在する神、自分たちの創造者に絶対服従を強いられ、その神のために労働力を提供する者達ではなかったことだけは確かなのです。
 この僕の確信を実感してもらうために、少しだけシュメール人達が残した諺や戯れ言を参考のために記しておきます。
   『楽しみ・・・それはビール
      厭なこと・・・それは遠征』
 ローマ人も市民の義務として兵役を課していました。やはり軍事遠征は憂鬱なものだったのでしょう。
   『「なんとへまなことをしたんだ」とは決して言うなかれ!』
 現代でも通じる格言です。相手を決定的に傷つけてはいけません。
   『パンのあるときゃ、塩がない。塩があるときゃパンがない』
   『薬味があるときゃ、肉がない。肉があるときゃ、薬味がない』
 貧乏人の嘆きはいつでも同じ。身がつまされます。
   『彼らにとり楽しいことは・・・結婚
          熟慮してみたら・・・離婚』
 現代でもよくある話で、結婚の実体は結婚するまで分かりません。
   『浪費癖のある妻が家の内に住んでいると
              あらゆる悪霊より恐ろしい』
 (H25.8.23 つい最近、「古代シュメール人達のつぶやき」というタイトルでシュメール人の格言を紹介しているツイッターを見つけました。ご興味があれば、ご一読ください。https://twitter.com/bigfatcat666
 いかがでしょうか、納得していただけたでしょうか?「不思議なお話No12 人類として受けいれがたい仮説その1」で、ゼカリア・シッチンの仮説を紹介しました。彼は人類を創造した宇宙人が、旧約聖書に語られた時代に人類の歴史に関わったという立場を取っています。その点が、僕はどうも納得できません。
 これらの古代シュメール人達の呟きは、身近に絶対服従を強いる神の存在など微塵も感じさせない、おおらかな庶民の顔を彷彿とさせてくれます。以前に読んだ本の中にも、自分の望みが叶わないことに腹を立て、神を罵倒している文章を読んだ記憶があります。その時、感じたのは、神が身近に実在していたら、こんな暴言など、吐ける訳がないという思いです。

 最後になりますが、シュメール人達の歴史の記述は、残念ながら多くは残されていませんので、その詳細は霧の彼方です。でも、歴史は繰り返すと言いますから、ローマ人達がたどった道を簡単に書いておきますので、シュメール人達の最後を想像してみて下さい。  

 最初に、塩野七生の著作より引用します。
 『プタルコスは、「列伝」の中で次のように述べている「敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」』
 プルタルコスの指摘したこの同化政策は建国時のロムロスの時代からの伝統で、カエサルなどは征服したガリアの族長にローマ市民権はおろか元老院議員の議席まで与えていますし、先にも述べた食料の安定供給が可能な農業を教え、社会資本(道路や橋)を整備することにより、蛮族を文明人に変えたのです。
 また、当時は城塞都市の攻防戦ですから、敗者は血に酔った兵士達によって虐殺され、財産を奪われ、命があったとしても兵士達の戦利品として奴隷になるしかなかったのです。
 しかし、ローマ人達はそうした蛮行を極力控えた民族なのです。もちろん、それを全くしなかったわけではなく、あのカエサルでさえ同盟を一方的に破棄し、敵方に寝返った城塞都市の殲滅を兵士達に許しました。ローマ人は信義をことのほか大事にした民族なのです。
 僕がローマ人を文明人と呼んだ訳がお分かり頂けたでしょうか?つまり、文明人は出来る限り公平性を心がけます。かつての敵に対してさえ、憎しみを水に流す寛容性を持っています。相手の立場を尊重し、宗教においてさえ、人身供犠はいっさい認めませんでしたが、それ以外は全て認めたのです。
 そして、こうした精神・スピリッツとその誇りこそが文明人の証なのであって、これがあったからこそ偉大なローマは長きにわたり繁栄し得たのです。しかし、混血が進むにつれ、徐々にそのスピリッツが希薄になってゆき、元老員もその機能を失ってゆきます。時として、そのスピリッツに目覚め、真摯に勤めを遂行する混血の皇帝も現れますが、時代はさらなる激動期を迎えるのです。
 それは、フン族のヨーロッパ侵入によって引き起こされた、ゲルマン民族の大移動です。(いよいよシュメールの末期に近づいてきました)ゲルマンと言っても、かつてローマが出逢ったことのない北方の民族であり、その原因を作ったフン族もローマの国境を脅かすほど、切迫した状況が続きます。
 そして、あっけなく西ローマ帝国は滅び、ゲルマンの王政が出現します。ローマ人はみな滅ぼされたの?いえいえ、生き残っておりました。行政機構も社会・経済機構もそのまま残されましたから、ゲルマンに仕えるサーバントして生きながらえたのです。つまり、文明人としてのスピリッツは数世紀前に置き去りにしてきましたが、今度はローマ人たる最後の砦、その誇りまで失ったのです。つまり、ローマ人達が文明人としての誇りを失うことにより、ローマ帝国は本当に滅びたのです。
 このように考えると、シュメール文明が滅びたのは、アッカド民族に屈服された紀元前2400年紀とするのが妥当だと思います。その地に残されたシュメール人達は、誇りを失い他民族に隷属したとはいえ、家族の糧を得ることを最重要課題として生きたのだと思います。
 
 次回はいつになるか分かりませんが、古代民族と宇宙人の問題を少し掘りさえてみたいと思います。
  

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