不思議なお話NO16 僕の考えた不思議の原理 

 不思議なお話No14で、「予言なんてクソクラエ(神の舞う空)」の太字の部分を読んで欲しいと申し上げたのですが、考えてみればそれも不親切だと思い直し、ここに太字の部分を紹介することにしました。
 どのくらいの分量かといえば、400字詰原稿用紙35枚にもなります。友人の意見をいれて、これでも半分以下にしたのですから、元々の小説はそうとう読みづらいものだったと思います。
 でも、今にして思えばその友人のおかげで、推敲の嫌いな僕が何度も文章を手直したのですから、少しはまともな文章になったはずで、今では友人に感謝しています。
 この文章には、僕が長年多くの本を読んで考えたことが詰まっていますので、是非ご一読ください。

第四章
 そしてある時、「集合的無意識」という言葉に出会った。この言葉によって初めて母の能力、つまり予知能力と霊能力が説明できたのだ。この「集合的無意識」とは、個人を超えた、人類の長い経験と知識が蓄積され形成された無意識領域のことで、個人に遺伝的に継承されると考えられている。
 しかし、石井は、母とのコミュニケーションを通じて、個々の心は深奥で繋がっていると確信していた。従って、この集合的無意識は、個々がそれぞれ固有に持つのではなく、実はそれぞれの無意識は絡み合う糸のように繋がっていて、人類という種としての集合的無意識を形成していると解釈した。そしてこの石井の個々の心は深奥で繋がっているという解釈は或る事実によって証明されていたのである。
 最初にこの事実を報告したのは、ニホンザルの研究者達である。在る島で、一匹の子ザルが餌のイモを海水で洗うと砂が落ち、しかも塩が効いて美味いことを発見する。この知識は大人達にも伝わり、島の最後のサルが、これを試した翌朝、海を隔てた隣の島で子ザルが海水でイモを洗い始めたという。
 世界の動物学者を驚かせたこの事実は様々な実験により追認された。一つの例だが、マウスを使った実験がある。
 まずアメリカのマウスのグループに一つの迷路を学習させ、全てが学習し終えたら、今度はイギリスの同数のマウス達に同じ迷路の学習を始めさせる。すると、イギリスのマウスは、アメリカマウスの半分の時間で学習を終えてしまう。
 別の迷路を今度は逆にイギリスから始めると、アメリカにおいて、またしても半分の時間で学習を終える。学習時間が半分になるということは、つまり、その知識が何らかの形で伝わったことを示しているのである。
 これら二つの例は、距離を隔てた種同士が、獲得した知識を伝え合ったことを示すのだが、スマトラ沖大地震では、野生動物はいち早く危険を察知し難を逃れたが、彼らは、彼らの祖先が取得した知識、「地鳴りに続く地震、そして津波」という時を越えた知識を咄嗟に思い出し行動を起こしたのである。
 彼らが、何処からその知識を引き出したかは、言うまでもない。全ての動物は、人間同様、先に述べた集合的無意識を持っており、個々が得た知識はそこに瞬時に蓄積され、どの固体もそこに容易にアクセスし、知識を得ることができたということである。
 しかし、人間は、脳の異常な発達によって自我が肥大化したため、他の動物のようにその能力を十分に発揮出来ない。人類にとって、この種の保存に必要な能力を失ったことは大きな損失と言える。

 さて、この集合的無意識という概念を提唱したのはカール・G・ユングだが、彼に言わせれば、「それは、意識の心から閉ざされていて、心霊的内容、人が忘れ去り、見落としているあらゆるもの、またその原型的器官の中に横たわる無数の時代の知恵と体験を」を含み、人々を導き、役立っているという。そしてユングはこう結ぶ。「我々の意識などは無限の大海(集合的無意識)に浮かぶ小島のようなものである」と。
 ユングは、集合的無意識は祖先にまで遡る叡智を含むと言うが、これが事実なら、そこはまさに知識と情報の宝庫である。ここにアクセスすることにより、地球の地殻の変動周期も、地球物理学、地質学や地震学等の最新の科学情報や知識をも引き出せ、大地震のような災害の発生時期、規模、被害状況の予測も可能となる。
 また集合的無意識という大海に浮かぶ個々人の意識から、世界中で起きている政治的陰謀やテロの情報も事前に入手可能ということになり、偶発的な事故以外の予言は、ある程度理解の範囲内に入ってくる。
 つまり、人間が失ったその能力、勿論その能力の強弱によって引き出せる情報量は異なるだろうが、それを他の動物同様未だに持ち続けている人でいれば予言は可能なのだ。それが超能力者と呼ばれる一群の人々なのである。

第五章
 そして後年、石井は20世紀の最も偉大な神秘的霊能者と言われたエドガー・ケイシーに興味を抱いた。何故なら、彼は明らかに、個々の無意識が深奥で繋がって形成される集合的無意識にアクセスしており、しかもそこに霊が関係していると感じたからだ。

 石井が最も興味を抱いたのは、ケイシーのフィジカルリーディングと呼ばれるものだ。このフィジカルリーディングとは、彼の息子、ヒュー・リン・ケイシーが彼の著作の中でこのように表現している。
「1910年10月9日のニューヨークタイムスの記事にこうある。
     無学の男、睡眠下で医者となる!
        エドガー・ケイシーの披露する
            不思議な力に医師ら茫然」
 つまりフィジカルリーディングとは、病気に苦しむ人々に対する処方箋のことで、彼は寛いで横たわり、妻の暗示によって眠りに入った後、静かに患者の治療法を語り始めるのだが、リーディングとはその言葉を書きとめたものなのである。彼はこれにより多くの難病患者を救ったのだ。
 確かに彼は故郷のケンタキー州ホプキンスビルで6年間学校に通っただけの学歴しかない。しかし睡眠下で語られた心理学的用語や神経解剖学的表現は、どれも難解で発音しにくいものだが、その分野の専門家を唸らせるのに十分な正確さを以って発せられていたのである。そして、覚醒した彼は睡眠中何を語ったか全く覚えていない。
 そのリーディングに際し、彼に与えられた情報は患者の名前と住所のみである。睡眠下の彼は、その患者を探し出しその体にアクセスする。
「我々(常にこの表現が用いられた)はここにその体を捉えた。今、部屋を出てエレベータで下に下りようとしている」と、彼の意識が患者の周囲に存在して見ているように語る。そして病巣を見つけ出し、続ける。
「我々はこれらの症状が腸管自体というより十二指腸下部に起きた腫れからきているものであるのが分かる。」と、彼の目は患者の内部にも入り込み症状の原因を指摘し、その処方を語るのだが、その中には彼の生きた時代の最先端医療知識を超えたものまである。
 前述のごとく、ケイシーは睡眠下で語ったことを全く覚えていない。つまりその時点では無意識状態にいたことになる。睡眠下の彼自身の言葉を借りれば、
「彼自身(ケイシー)の潜在意識が他のあらゆる潜在意識と直接交わ」ることが出来、そして「この方法で何千何万という他人の潜在意識の有する知識の全てを収集する。」つまり、彼の情報の源が集合的無意識であることを自ら語っているのである。

第八章
「つまりこうです。集合的無意識にアクセスするには無我の境地に到らなければなりません。エドガー・ケイシーは妻の導きでその境地に達しました。この無我の境地に至るには、瞑想、座禅もこれを可能にするのかもしれません。しかし、凡人がこの境地に達するには、お題目を必死に唱えるのが一番の早道なのです。それも集団で行うのが理想的です。」

「共鳴です。声が重なり共鳴します。実は集合的無意識は人々の想念波動の集合体なのです。従って、集団で読経すれば声が重なり共鳴しますが、これが、この集合的無意識の波動に幾ばくか近付くことになります。」

「実は、エドガー・ケイシーはこうも言っています。『顕在意識(自我意識)は外界からの印象を受けて、その想念の全てを潜在意識に移すが、これは顕在意識が滅びても残存するのである。』とね。」

「つまり、人は生きている間にその全ての想念を潜在意識に移しますが、その人が死んでもそれは存在し続ける。つまり、死んだ人の想念波動は集合的無意識に残されているということです。これはあくまでも僕の私見なのですが、所謂、霊界とは、この残された想念波動の集合体で、それが集合的無意識の中に存在すると考えています。」

 石井は悟道会が般若心経を唱えていると聞いて不思議なめぐり合わせを感じた。何故なら、般若心経の「色即是空、空即是色」という言葉の「空」こそ、石井が今抱える難問を解く鍵だと思っていたからだ。ここで言う「空」とは、そのものずばり「空っぽ」のこと、そして「色」とは「形のあるもの」を意味する。
 この「色即是空、空即是色」を説明するとこうなる。我々の体は分子によって、またその分子は原子によって構成される。その原子は、原子核、それを中心として回る電子、そして両者の間を占める空間により成り立つ。しかし、我々の身体の物質としての実体(原子核と電子)を集めると、小指の先ほどの大きさにもならない。つまり、この体の殆どが空間ということになる。まさに色即是空(形あるもの、即ちこれ空なり)である。
 次にこの原子は更に微小な素粒子によって構成されるのだが、現代物理学はこの素粒子が空から突然存在するようになること、そして空が無限のエネルギーの宝庫であることを発見してしまったのである。つまりこれが空即是色(空、即ちこれ形あるもの)となる。
 さて、石井が今抱える問題であるが、それは、神の存在をどう証明するかということである。霊界の存在及び輪廻転生の仮説はエドガー・ケイシーの「地上界で生涯を終えるいかなる霊魂もこの世界(集合的無意識)に魂の想念波動を残す。」「再び地上に受肉する時にはこの同じ想念波動を帯びることになる。」という言葉を参考にすればよい。
 問題は、ケイシーが熱心なキリスト教徒(輪廻転生はキリスト教の教えに反するのだが)であり、これらの言葉はキリスト教の神の存在を前提にして語っているのである。従って、無宗教の石井としてはキリスト教とは関係なく、論理的に神の存在を明らかにしたいと考えている。これが石井の抱える難問である。
 この難問を解く鍵は、やはり空なのではないか?我々の体を構成する原子も電子も波動であり、集合的無意識も波動の集まりである。これらは、空に包まれ空に内蔵されている。「無限のエネルギーを秘める」空も何やら怪しい。空が何らかの形で神と繋がっているのではないかと思えてならないのである。

第九章
 彼の名は、エマヌエル・スエデンボルグ。彼は終生政治家として過ごしたが、科学者としても様々な分野において先駆的な業績を残した。しかし、彼の人類に対する最大の貢献は、あらゆる分野の先駆的人々、例えば宗教家、思想家、科学者、小説家等に多大なインスピレーションを与えたことである。
 科学者としての彼は当時でも高く評価されていたが、現在に到って18世紀最高の科学者として再評価されている。それは図書館に奥深く眠っていた彼の著作が現代語訳され、彼の研究が当時の科学レベルを遥かに超えていたことが今日の科学者達を驚かせたからである。残念ながら、当時、彼の研究を引き継ぐ者はいなかったのである。
 しかし、彼の「人類に対する最大の貢献」は、奇妙なことなのだが、彼の残した霊界に関する膨大な著作によって為されるのである。彼は56歳にして、生きながらにして死後の世界を探訪する能力を得て霊の世界の様子を語り始める。そして死後の世界を科学者の冷静な視線で観察し続け、緻密で整合性をもった霊界を描いた。
 実は、スエデンボルグの語った霊界はユングの集合的無意識に繋がるのである。石井は霊界がユングの言う集合的無意識の中に存在すると考えた。そしてある時、そう考えたのは石井だけではなく、ユング自身もそう考えていた節があることに気付いたのである。
 実は、カール・G・ユングは、医学生の頃からスエデンボルグの著作を読みふけり、彼に心酔していたのだ。そして彼はその著作の中ではっきりと「集合的無意識は、」「心霊的内容」を含むと明言しているのである。
 ユングは明らかにスエデンボルグの語る「霊界」から「集合的無意識」のインスピレーションを得ており、石井と同じようにスエデンボルが語った「霊界」が集合的無意識という大海に存在すると考えていたと考えられるのである。
 そう、大河の一滴が戻るべき『母なる海』とはこの集合的無意識なのだ。人は長い旅路を終え、この無限の大海に身をゆだねる。多くの縁のある者たちに囲まれ、静かな穏やかな日々を送る。
いや地獄界ではそうもいかないかもしれない。罵りあい、憎しみあい、傷つけあう日々なのだろう。そしてある日、宿縁によって結ばれた人々が、天界から或いは地獄界から、新たな魂の修行の旅に出る。「オギャア」と産声をあげるのだ。

第十一章
 保科は、この世にもあの世にも地獄があると語った。実は石井も同じ真理を確信していたのだ。同じ真理に到達した二人が、人生と言う旅路のほんの一時会いまみえた。不思議な縁としか言いようがない。この世でも愛の欠落した人々が相集えば、その空間は地獄の様相をおびるであろう。あの世の地獄も同じようなものだ。
 石井の霊界のイメージはスエデンボルグの著作の影響で形作られた。彼はこの世と隣り合わせでもあり、しかし人間世界とは明らかに次元を異にするあの世の様子を微にいり細にいり語っている。
 彼が言うには、霊界は「天界」、「地獄界」、「霊たちの世界」という三つの領域から成る。すべての人々は死後、「霊たちの世界」に入り、その人の帯びた愛の度合いに応じて「天界」へ或いは「地獄界」へと進んでゆくと言う。従って輪廻転生は否定されている。
 スエデンボルグの語る地獄には奇妙にも刑罰的な色彩はない。悪人は自ら好んで地獄界に入る。自らの穢れが地獄界の腐った臭気を求めさせるのだ。天界には天界の、地獄界には地獄界の波長があり、霊達はそれぞれの波長に引き寄せられるのである。
 この世の人間は天界とも繋がっているが、同時に地獄界とも繋がっている。時として沸き起こる崇高な思いと悪魔的な思い。こうした迷いは誰もが体験していると思うが、人間は常に、隣り合わせに存在する霊界の霊達の思いに晒されているのである。
 しかし、人間には自由意志があり、両者を選択する能力を有するとスエデンボルグは言う。
 保科香子はこの世の地獄から抜け出してきた。恐怖は人間の心を凍てつかせる。恐怖の呪縛から逃れるのは至難の業だ。しかし、何が彼女をそうさせたのかは分からないが、彼女は悪霊たちの誘惑に打ち勝ったのだ。
 石井はそのことを思って涙を拭い、良かったと心の底から思う。何故なら、再びあの世で会えるからだ。霊界では類似は結合し、異種は分離すると言う。彼女は教祖の力を目の当たりにしてきた。恐怖の度合いは石井の比ではなかったはずだ。石井は彼女の勇気を心から祝福し、そして、少しだけそれを貰ったような気がした。

第十二章
 コーヒーをすすりながら、石井は死と生まれ変わりついて考えた。石井は一度死を覚悟したことがある。体からドッ、ドッと心臓の鼓動と共に血が湧き出ていた。このまま死ぬかもしれないと思ったのだ。次の瞬間、石井は強烈な恍惚の中にいた。えも言われぬ悦楽が体全体を包んでいた。
 これは担当医師に言わせれば、脳内麻薬物質が大量に放出されるからだそうだが、、この体験は死に対するイメージをがらりと変えてしまった。死は状態の変化の一過程に過ぎないと誰かが言ったが、まさにその変化の一過程に入り込んだ、そんな印象をうけたのだ。
 スエデンボルグは輪廻転生を否定している。しかし、石井はこの体験により輪廻転生を受け入れた。その後、かのエドガー・ケイシーに乗移る霊が輪廻転生を語っていることを知り、それを確信するに至ったのである。
 輪廻転生のリーディングは、病気の処方箋であるフィジカルリーディングに対し、前世に照らして今生を如何に生きるべきかを教示したライフリーディングと呼ばれるものである。ケイシーは同じ人間に何度もライフリーディングを行っているが、その本人に数年前に語ったのと同じ、常に一貫した前世を語って、その生き方に助言を与えたのである。
 ケーシーは言う。「肉体の世界、宇宙的世界、幽界の三者は一体である。」と。これは、「肉体の世界」と「幽界」について説明するなら、この世もあの世も何ら変わりはなく、死を断絶ではなく生の連続とし、この二つは一体だという意味だろう。
 次いで「宇宙的世界」とは他の銀河系から地球に転生する者もあり、地球的に見れば「肉体の世界」と「幽界」とは別の世界ということになる。これはスエデンボルグも同じ見解をとっていて、地球には他の銀河系から来ている人がいると認めている。
 そして魂は「物質界に現されている宇宙緒力の創造エネルギーと一つになるまで、その一体性の中に留まらなければならない」と説く。つまり「肉体の世界」、「宇宙的世界」、「幽界」の三者のどこかに生まれ変わり、そこで成長し、魂を磨き、天に戻る(宇宙緒力の創造エネルギーと一つになる)よう努力すべきだと言う。
 まさに、スエデンボルグの天界への道と同じことを、つまり魂の成長を説いている。スエデンボルグは輪廻転生を否定しているが、ケーシーは輪廻転生を何度も繰り返すとし、その中で魂を磨くことが生の目的であるとしているのである。
 一つ気になるのが、ケーシーの「物質界に現されている宇宙緒力の創造エネルギーと一つになる」という言葉である。現代物理学によれば宇宙には四つの力が働いていると言う。それは素粒子相互間の強い力と弱い力、そして電磁力及び重力の四つである(五つ目が最近話題になっている)。
 この四つの力はケイシーの言う創造エネルギーと同じものなのか?もし、同じであるとするなら、波動として霊界に存在する霊魂は、この四つの力と一つになることによって物理学的にどう変化するのか?また、神はこの力とどのような関係にあるのか?いずれにせよ、ケイシーはこれらの疑問に対し何も語ってはいない。

第十四章
 石井の顔が自然とほころぶ。スエデンボルグの逸話を思い出したのだ。詳細は忘れたが、こんなエピソードだ。神に近づくために何か修行しなければならないかという問いに、彼はこう答えている。修行など必要ない。それより与えられた仕事に専念しなさいと。
 彼に言わせれば、仕事は何らかの形で人の役に立っている。人のために役立つことが最も価値があると。これを読んで石井はスエデンボルグが好きになった。石井が今、何をすべきかも教えてくれている。
 石井の顔が真顔に戻る。そうだ、せめてあの問題を解決していたら、どんなにすっきりしただろう。ケーシーもスエデンボルグもキリスト教をその思想の基盤としており、キリスト教が世界人口の35%でしかないことを思えば、彼らの言う神は世界の人々を納得させるだけの普遍性に欠ける。誰もが神を感得できる別の論理が必要なのである。
 石井が思索を重ねる。人の喜びや悲しみ、哲学的思考から享楽的な感情まで、全ての想念波動は地上空間に残される。その人間が空間的に移動すれば想念波動もその軌跡を残しつつ移動する。これが個々の心を繋ぐ糸というわけである。
 この想念波動は瞬間瞬間に発生した空間に留まり波動し続ける。人が悲しみの場に再び立つ時、その悲しみは瞬時に蘇る。それは過去の波動がそこに残存しており、同じ波長だからすぐさま本人の波長と重なるのである。
 輪廻転生を考慮するなら、人は同じ波長で人種を越えて生と死を繰り返し、さらに太古から人類が地球的規模で移動したという事実を踏まえるなら、同じ波長は地球全体に広がり、その個々の振動の軌跡は縦糸と横糸が織りなす一枚の布のように地球を覆っている。
 その一枚の布とは、無限の、感情、思索、知識が詰まった集合的無意識であり、その中に高レベル(天界)から低レベル(地獄界)まで段階的な振動的階層を形作る。その秩序を作り出す源は物理学でいう宇宙を支配する四つの力なのか、或いは空の内蔵する無限のエネルギーなのか?
 やはり無限は神を連想させる。
 世界的な量子力学の権威であるデイビッド・ボームが言う。「1立方センチの中のエネルギーは、宇宙の今までに知られているあらゆる物質の総エネルギー量をはるかに超えている」と。つまり1立方センチの空は宇宙を創造するほどのエネルギーを秘めていると言うのである。この膨大さは尋常ではない。何か意味があるはずなのだ。ん、宇宙を創造するだって?

第十五章
 石井は頷きながら、記憶の糸を丹念にほぐしていった。そうだ、似ている、確かに似ているのだ。あの今世紀最高の霊能者と呼ばれたエドガー・ケイシーの予言にである。そして彼の予言はことごとくはずれたのである。 
 石井はエドガー・ケイシーを高く評価するあまり、その否定的側面を記憶の外に追いやっていた。エドガー・ケイシーは、1998年までに日本は沈没すると予言し、それを下敷きにして小松左京は日本沈没というSFを書いたと言われるが、未だ日本は無事である。
 これだけではない。第二次大戦における日本の軍事行動に関しても、オーストラリアを攻撃するとか、米国本土を爆撃するとか、その殆どの予言がはずれているのである。まして日本人を蔑称であるジャップと呼称した。
 明らかに、その時、エドガー・ケイシーの口を借りた霊は日本人に悪意を抱いている。もしかしたら、教祖の予言の源も同じような霊なのではないか。であればまたはずれる可能性がある。いや、今度が本番で、ケイシーは時期を間違ったのか。
 もう一つリーディングが裏目に出た事例がある。それは、エドガー・ケイシーの能力に目をつけた資本家が、共同事業や多額の報酬を持ちかけ、油田発見、投資、不動産投機についてのリーディングを依頼したのだ。この時、彼のリーディングはことごとく外れて資本家の目論見は頓挫してしまった。
 このことがあってケイシーは「私はすべてのひとを助ける得るようだが、自分だけは・・・」つまり、その能力にによって自分を利することは不可能であること、そして人を助けることと「物質的利益を得ることは両立し得ないことを悟るに至った。」と語っている。
 とは言え、油田発見や投機のリーディングの時にも、間違いなく眠れるケイシーに霊は降りてきて、どこそこを掘れとか、あの株は間違いないぞとか発言したのだが、その霊がフィジカルリーディングやライフリーディングの霊と同じとは思えない。
 スエデンボルグはこう言う。「この世の人間は天界とも繋がっているが、同時に地獄界とも繋がっている。」と。エドガー・ケイシーの「予言」を語った霊はどちらから来たのか。人々に恐怖の種を撒き散らしたとうことを考えれば地獄、或いはそこに近いところから来ているのではないか?
 ふと佐々木が言った一言が脳裏に浮かんだ。「未来は神の領域」という言葉だ。そうだ、未来は神の領域であり、霊の領域ではない。憤然とそう思った。神は万物を創造されたのだ。霊は、スエデンボルグも言っているが元々は人間である。天使も悪魔もである。
 元来、人も動物も神から出たのだ。だとしたら、個の生き死に、或いは種の滅亡、全ては神の領域に属する出来事だ。その時に誰が死に、誰が生き残るかは神が決めることだ。霊やまして人間が関わることではない。

第十六章
  空には無限のエネルギーが内蔵されている。何故なのか。それは、宇宙がダイナミックに躍動しているからだ。つまり宇宙は、我々が死と再生を繰り返すように、星や銀河が絶えず生成し、そして消滅するというダイナミズムの場なのだ。
 天文学者達は、今までなかったところに銀河が突然生まれると、こともなげに言う。信じ難いことだが、これは事実だとすると、空は、死滅した星や銀河の残滓を吸収し、新たな生命を、つまり新たな星や銀河を生み出すために絶えず素粒子を放出し続けている。そのために無限のエネルギーが内蔵されているのだ。
 この理屈は所謂定常宇宙論的だが、原初の大爆発で宇宙が出来たとするビッグバン理論でもかまわない。最初に空=無があった。その空が突然大爆発して時空を押し広げ、同時に宇宙を構成する全ての物質を放出した。そして空は、今も無限に広がる宇宙を創造し続けているということになる。
 星や銀河が生成と消滅を無限に繰り返す宇宙も、或いは無限に膨張する宇宙も、無限のエネルギーを有する者のみが創り得るのである。つまり宇宙の創造者は空だ。そして全ての宗教に共通する教義は、神が宇宙を創造したということ。だとすれば、宇宙を創造したのは空なのだから、空こそが神ということになる。
  「神の臨在」という謎も簡単に解ける。神は何時でも、何処にいても、それが誰であろうと、その者と共にあるという「神の臨在」という問題も、空は我々を包み込んでいるのだし、言い方を変えるなら、我々は誰彼なく空に抱かれているのだから疑問でも何でもない。空は人間を、そして宇宙さえも包み込んでいるのだから。
 物質の本質についても、石井の得たインスピレーションは非常に単純なものだった。物質は突如何もない空から生じる。どのように?実は空自らが振動して素粒子へと変貌するのである。物質の最小単位と言われるクオークは空の振動によって作られる。
 我々の体を構成する全ての原子は空の波動によって生じる。つまり我々は空から生じたというより、実は、空がその姿を変えているに過ぎず、物質化した空なのである。
 この事実は、我々の心或いは意識というものも説明出来る。つまり、我々が空そのものであるなら、そこから生じる想念波動もやはり空ということである。物質化した空から生じた想念化した空であり、心とも意識とも呼ばれる魂そのものである。それが絡み合い縁を形成しながら集合的無意識を構成する。
 現代物理学によれば、宇宙は四つの力によって支配されていると言う。ケーシーの「物質界に現されている宇宙緒力の創造エネルギーと一つになる」という言葉は、この四つの宇宙諸力の創造エネルギーの源である空、すなわち神の元に帰るという意味となる。その時、個としての波動は止み、空と一体となるのである。
 ふと、石井は苦笑いを漏らした。自分の勘違に気付いたからだ。実は、集合的無意識は仮の宿にしか過ぎず、人類が真に帰るべき『母なる海』とはこの「空」であったのだ。物質化した空、つまり堕ちた天使が、物質から開放され、天(空)に帰るには純な魂となって昇華するしかない。『母なる海』はそれを心待ちにしている。

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