不思議なお話NO17 僕が不思議な体験をする理由

  「生まれ変わりの思想が、今の子供達の自殺を助長している。ゲームのスイッチを切るように、子供たちは生のスイッチを簡単に切ってしまう」
 これは、ある女性評論家の言葉です。彼女のこの社会評論が大新聞に掲載されて以降、あのふくよかな霊界のメッセンジャー(江原啓之)がテレビ画面から消えました。本当に子供達の自殺は生まれ変わりの思想が原因でしょうか?
 「一回こっきりの人生で、どれだけ美味い物を食ったか、どれだけいい女を抱いたか、どれだけ贅沢が出来たか、生きるってことの醍醐味はこれに尽きる」
 これは僕の元上司の言葉です。子供達の自殺は、まわりがこんな身勝手な人間ばかりになっってしまった、この世に絶望したからではないでしょうか。
 
 さて、今日は、不思議なお話No13で、「何故、僕がそうした偶然に出合う体質になったのか、思い当たる節があり、いずれそれについても書くつもりです」と述べましたので、その説明をしたいと思います。

 前章、不思議なお話No16の「僕の考えた不思議の原理」で、エドガー・ケーシーとエマニエル・スエデンボルグについて何度も述べていますが、僕はこの二人に関する書物にずいぶんと影響されています。ですから「僕の考えた不思議の原理」ではなく、「僕がパクった不思議の原理」とすべきかもしれません。

 ケーシーは、未来予言、営利目的では、期待される成果を発揮できませんでしたが、フィジカルリーディングと呼ばれるケーシーが語る処方箋は、多くの病人を癒し、快方へと導きました。また、霊界の原理について語る内容は論理的で極めて信頼が置けると、僕は感じています。
 ケーシー自身は目覚めたとき、自分が何を語ったか覚えていないのですから、これらの言葉は、彼の口を借りて話す、霊界(集合的無意識)から降りてきた霊達の言葉なのです。
 次に、スエデンボルグですが、彼はこの世の人間は天界とも繋がっているが、同時に地獄界とも繋がっていると言い、我々人間は隣り合わせに存在する霊界の霊達の思いに晒されていますが、人間には自由意志があり、両者を選択する能力を有する、としています。
 僕は疑い深い方ですから(?)、スエデンボルグが語ったこと全てを信じているわけではありませんが、刑罰的色彩の少ない、同じ波長の人々が集まる地獄界という発想は府に落ちるのです。「予言なんてクソクラエ(神の舞う空)」はこの地獄界の霊が教祖を導くという設定でストーリーを展開しています。

 世の中には、ケーシーのように霊界との交信が生まれつき容易な人々がいます。この先天的に霊的体質の方は、特に女性に多いようですが、後天的にこの資質を獲得する人々もいます。スエデンボルグがその代表格ですが、こうした人々がどのような状況下で、その能力を得たのかが、今日の僕の話題と結びついてくるわけです。

 以前に読んだ本に書いてあったのですが、超能力者と呼ばれる人々は、不幸な生い立ちの方が多いというのです。世の辛酸を嘗め、孤独と絶望の前半生を送り、その結果として後半生に不思議な力を得るのですが、そのため精神的に不安定であったり、性格的に歪んだ人が多いのだそうです。これが、一部、僕にも当てはまります。

 僕の生い立ちは、どちらかと言えば幸福な部類に入ると思います。両親に愛され育てられましたから、順調にゆけば素直な、おおらかな人間に育ったはずです。でも、ある日、その両親に顔向けのできない、不道徳を、目をそむけたくなるような背徳行為を行ってしまったのです。

 不思議なお話を最初から読んでくださっている方は、もう、お気づきだと思います。不思議なお話No4(読んでいない方はご一読下さい)の出来事、小学1年生にもかかわらず、お○○こをやってしまった、と勘違いして苦しんだ話ですが、そんな大袈裟なと思う人は、子供心というものを理解出来ない方だと思います。
 
 どれほど悩み苦しんだことか。悩みすぎてパニックに陥入り、呼吸困難に陥ることもあったくらいです。と、まあ、悩んだ話は脇に置くとして、その時、僕がどうしたと思います?これが、今回の話の鍵となります。

 実は、悪ガキ達の苛めに会った日、寝息を立てている両親の隣で、僕は布団をかぶり、泣きながら神様に救いを求めたのです。良い子でいますから、どうか助けてください!両親に、あのことがバレませんように。いじめっ子と道で会いませんように、と!
 後天的に不思議な能力を得た人々も、僕と同じように神様に祈ったのではないかと思うのです。僕と違うのは、人生のもっと奥深い苦しみからほとばしる、呻(うめ)くような祈りの声だったということです。僕の子供じみた悩みとは桁違いの苦悶の叫びです。

 でも、そんな子供のたわいない悩みであっても、その祈りは何某かの変化を僕にもたらせたことは確かだと思います。たとえそれが、気休めであったとしても心の平安を得られたであろうし、或いはもっと違う何かが僕の身に生じたとしても、誰もこれを否定できないでしょう。
 今でもそうなのですが、何か悩み事があったり、心の整理がつかなかったりすると、駅からバスに乗らず家まで歩いて帰ります。そして、夜空に向かって語りかけるのです。そうすると、家に帰り着く頃にはある程度心が落ち着いていて、悩み事に対する方向性も決まることが多いのです。
 あの世の霊が僕に降りてきたとは言いませんが、最近、幼少の頃を思い出し、その祈りによって、向こう側と通じる何かが僕の体の中に芽生えたのかもしれないと思うようになりました。
 幸いにも超能力のような不可思議な力は与えられませんでしたが、不思議を体験させて頂いておりますので、世界を別な見方で眺められるようになり、つくづく人の世って面白いと思えるのです。
 そして、何故、不可思議な力が与えられなかったことが、幸いかと言いますと、僕にとって一番大切なことは、少し歪んでしまった心を矯正することであり、もしそんな力が備わっていたとしたら、僕の心の傷口はさらに広がってしまったと思うからです。
 というのは、僕は人一倍傲慢なところがあり、その不可思議な力を得ていたら、その傲慢さに歯止めがきかなくなった可能性が高いのです。これは由々しき事態です。傲慢さはそれ自体が罪なのですから、本当に危ないところでした。  

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