不思議なお話NO23 「罰の当たりやすい」体質と日本人  

 「罰(バチ)が当たる」という言葉があります。これは言うまでもなく、悪いことをすれば神仏の懲らしめを受けるという意味ですが、世の中には罰の当たりやすい体質の人間がいると言えば、そんな馬鹿なと思う人の方が多いと思います。でも、本当にいるのです。実を言うと、かく言う僕がその体質の持ち主なのです。
 小さな頃から、僕はこのことに気付いていました。心に少しでも疚しさを覚えながら行動すると、必ず罰が当たります。と言っても、悪い行いを一切しなかったかというと、そうでもありません。僕もごくごく普通の出来の悪い人間ですから、悪意や欲得その他のマイナスの感情とは無縁であるわけではなく、疚しさを感じつつそんな感情の赴くままに行動することはよくあることで、そのたびに罰が当たり、反省する羽目に陥ります。
 では疚しさを感じない場合はどうでしょう。例えば激情に赴くままに行動したとき、疚しさなど感じる暇もありません。でも、結果をみれば明らかなのですが、激情を野放しにすることにより、友人を失ったり、仕事上の人間関係が悪化するなど、どう考えても自分の世界を狭くする方向へと自らを追い込んでしまいますので、やはり反省せざるを得ません。
 
 何故、僕がこのような体質になったのかを考えてみますと、不思議なお話No17で書いたことに関係しているように思えます。その中で、僕はこのように書きました。
「あの世の霊が僕に降りてきたとは言いませんが、最近、幼少の頃を思い出し、その祈りによって、向こう側と通じる何かが僕の体の中に芽生えたのかもしれないと思うようになりました」
 この一文だけを取り出すと何を言っているのかさっぱり分かりませんが、つまり幼少の頃、僕があることで神様に助けを求めたこと、それによって僕の心があの世と繋がったのかもしれない、と言いたかったわけです。
 スエデンボルグの言葉を借りれば、、
「この世の人間は天界とも繋がっているが、同時に地獄界とも繋がっている。時として沸き起こる崇高な思いと悪魔的な思い。こうした迷いは誰もが体験していると思うが、人間は常に、隣り合わせに存在する霊界の霊達の思いに晒されているのである」
ということになり、天界と繋がっているという僕の思いは、悪いことは決して出来ないという潜在意識を形成し、その結果として罰が当たりやすい体質になったと言いたかったのです。
 でも、僕のそんな思いは、それを強く意識するかしないかは別として、実は多くの日本人が抱いているごく自然な宗教心と同じではないかと思えるのです。
 皆さんは仏壇を前に、或いは心の中で、亡くなった肉親や友人に語りかけたことはありませんか?感謝の言葉を捧げたり、悩みを打ち明けたり、近況を報告したりしたことはありませんか?そんな時、その肉親や友人が生きていた時以上に、心と心が繋がっていると感じませんでしたか?或いは、ふと、自分が誰かに守られていると感じたことはありませんでしょうか?
 僕は、こうした行為、つまり霊に語り掛けることによって、多くの方々が霊界と繋がりを持って生きていると思っています。日本人は霊を神という言葉で呼ぶことがあります。霊は、勿論僕の主張する神ではありませんが、霊界での霊達が、エドガーケーシーの言葉をお借りるなら「物質界に現されている宇宙緒力の創造エネルギーと一つになる」ために何度も輪廻転生を繰り返す訳ですから、つまり霊は神と一体になることを望んでいるのですから、霊を神と呼んでもあながち誤りとは言えず、むしろ霊を尊重する日本人の性向は好ましいとさえ思えます。何故なら、日本人の多くの方が「罰が当たりやすい」タイプに属することになるからです。

 僕は常々、この「罰が当たりやすい」タイプが多いか少ないかが、社会が健全であるか否かのバロメーターになっている、と考えています。あの世や霊を認めない人々の宣伝活動によってこのタイプは減少傾向にあります。
 そしてこのタイプが少なくなれば当然不健全な社会になっていまいます。最近、今さえ、自分さえ良ければ良しとする傾向が顕著ですが、こうした傾向の人々はあまり罰は当たりません。つまり、楽に生きることが出来るわけですから、常に増加傾向にあります。
 富の一極集中、或いは貧富の格差増大がその現れです。つまり富の不公平な分配に対し疚しさを感じない人々が増えているということです。極端な金持ちの存在を何世紀にもわたって許してきた欧米では、この罰の当たりやすいタイプの人々がごく希にしか存在せず、不健全な社会を変えようとするパワーも社会を活性化するダイナミズムも生まれてはきません。彼らに残されているのは停滞のみでしょう。
 しかし、日本人は欧米人とは精神性もそれを育んだ歴史も異なります。極端な贅沢に眉をひそめ、そこそこの幸せに満足し、何事に関しても出来る限り公平でありたいという人々が多いと思うのです。それは、かつて恥を知る文化として呼ばれることもありましたが、僕に言わせれば不公平に対し、それを享受する側にいてさえ疚しさを感じる文化だと考えたのです。
 ですが、残念ながらそうした日本人の高い精神性は衰えつつあるようです。僕の好きな塩野七生女史の古代ローマ帝国の歴史を紐解けば、ローマ人が誇りとした寛容と公正のスピリッツが衰退することによって滅亡への道を辿るのですが、当時誰一人そのことに気付いた人はいません。
 残念ながら、その社会にカエサルが生まれる余地などなくなっていたのです。何故なら、カエサルはローマンスピリッツを育んでいた社会を体現して生まれたのだし、そのスピリッツが衰えた社会は滅びるしかなかったのです。

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