不思議なお話NO25 北野タケシの傲慢

 皆さんはこんな経験をして、不思議に思ったことはないでしょうか。それは、避けたいと思っている人に限って出会ってしまうという経験です。僕は、これを誰もが経験する不思議の原理の一つではないかと考えているのですが、もし、そんな経験がないという人がいたとすれば、その方はそれを忘れてしまっているだけだと思います。僕は何人もの人にこの問いを発してきましたが、今のところ覚えがないという回答はありませんでした。
 僕は何故こうしたことが起こるのかを長年考えてきました。そして得た答えは、会う必要があったから、ということになります。たとえば、会いたくないと言う理由を考えてみましょう。
 まず、諸々の理由による憎悪や嫌悪、或いは疚しさ、劣等感、苦手意識等が考えられますが、それらは常に僕たちが克服、或いは乗り越えねばならないマイナスの感情です。ですから偶然を装い、それを思い起こさせるために強制的な出会いが配置されており、それによって僕たちは対応の修正を迫られている、と僕は考えています。
 でも、それが単なる偶然に過ぎないと思っていれば、この野郎と睨みつけたり(僕だけかな?)、こそこそと尻尾を巻いて逃げ出したりするだけですが、それが偶然ではなく、僕たちにそのマイナスの感情を気付かせるために不思議な力が働いていると思えば、何故出合ったのか自らを省みて、それを克服しようという意欲も沸いてきます。つまり、人は常に自分の内面と向き合わなければならぬよう運命づけられているということです。

 さて、これに似た現象がもう一つあります。こちら方は気付いている人の数は、かなり限られてきます。僕はこれを何度も経験していて、かねがねこの現象を不思議に思っていました。
 それは、人は宗教的になれば成る程、お試しが襲ってくるという事実です。お試しとは、試練の意味です。僕はこれに気付いている人を何人か知っています。日本でも有数の宗教団体の数人。この人達とは何度も論争しています。そして女房の友人の一人、あとは今は亡き友人一人と数は少ないのですが、気付いている人は、いることはいるのです。
 その中の一人、女房の友人について、お話しします。この女性に直接会ったことはないのですが、女房のおしゃべりの中でよく出てくる方で、彼女の言った言葉が、言い得て妙で、思わず笑ってしまいました。彼女は悩める女房に向かってこうアドバイスしたのです。
「安藤さん、そんな風に宗教的に考えると、絶対に試練が襲ってきて、損するのは自分なんだから、止めたほうがいいよ。考え過ぎないことが一番だよ」
 どうです、彼女、達観してますでしょう。女房のおしゃべりに出てくる彼女は、とても知的でシニカルで男っぽい性格の持ち主です。以前から興味を抱いていたましたが、僕はこの一言を聞いて、更に彼女への関心が高まりました。
 恐らく、彼女も、精神的に辛い過去があったのだろうと想像していました。そして僕のこの想像は当たっていたのです。小学校低学年の頃、彼女の父親は、工場の事故で亡くなっていました。これを聞いたとき、僕は、なるほどなーと思ったのです。
 幼少の頃に辛い体験をすると、無垢な魂は思索を開始します。まわりのお友達はあんなに幸せそうなのに、何故、自分だけ、こんなに辛い現実が襲ったのかと。この種の思索は常に堂々巡りに陥ることになりますが、精神的には宗教的な色彩を帯びざるを得ず、それがための試練に見舞われ続けた結果、彼女の出した結論が「考え過ぎないことが一番だよ」となるのです。
 また、以前、何かの本で、キリスト教のどの宗派かは覚えていませんが、お祈りの最後に、「どうか、お試しに会わせないでください」と付け加えると書かれていました。これを読んだとき、キリスト教徒も僕の言うところの不思議の原理に気付いていたんだと、共感を覚えたものです。
 
 ここで、面白いと言っては失礼なのですが、非常に分かりやすい事例を紹介します。それはたまたまテレビで、北野タケシさんが番組でこんな風に発言したのを聞いたことに始まります。
「俺は死ぬことなんて少しも怖くはないんだ。死を徒に恐れるのは間違いだと思っている。俺は、今、すぐに死んだとしても、それはそれで運命だと思って諦めるね」
 僕はタケシさんのこの発言を聞いて、タケシさんも僕と同じ輪廻転生論者ではないかと、そして僕以上に不思議体験をしているのではないかと思うと同時に、その危うさを危惧しました。例のお試しを受けるのではないかと予感したのです。
 と言うのは、恐らくタケシさんは、本または人の影響か、或いは自身の思索の結果かは分かりませんが、宗教的な確信をもって発言したのだと思うからです。以前、僕も徒に死を恐れることはないと書きましたが(不思議なお話No9)、それは与えられる死を迎えるまで今を精一杯生きることが肝要であること、そして死を迎えた時は、この言葉を思い起こせば死の恐怖を乗り越えられるという思いがありました。
 つまり、死を恐れない人間など存在しません。傲慢は、それだけで罪であると思います。でもタケシさんはテレビという、人に大きな影響を与える媒体を通してあの言葉を吐きました。
 僕が危惧を抱いたもう一つの理由は、著名人は一般人に比べると試練に会いやすいのではないかと思っていたからです。そうした人々は、多くの人々に警鐘を鳴らし、この世の真実を見せるために選ばれているのでは、と感じていたのです。そして、直後にあの事故でした。
 タケシさんは瀕死の重傷を負い、大手術の末一命を取り留めましたが、未だに顔面には金属の板が入っているそうです。その顔は世界のタケシに相応しい国籍不明の異彩を放つものに変わっていました。つまり、新しいタケシに生まれ変わったのですから、お試しも、まんざら悪いものではありません。
 その後、タケシさんが何かに書いておられましたが、瀕死の重傷を負って病院に運ばれるまで、「助けてくれー、死にたくないよー」と叫び続けていたそうです。

HPランキングにご協力をお願いいたします

   

inserted by FC2 system