不思議なお話NO26 お試しの嵐


 僕はどうやら学習能力に欠陥があるようです。以前からそうではないかと考えていたのですが、最近確信に至りました。以前、トイレでハンカチを口にくわえて手を洗う友人を見て、スゴいと感心しました。実に合理的だと思ったのです。
 洗ったばかりのびちょびちょの手で、右ポケットのハンカチを取り出すと、ポケットのまわりもびちょびちょになってしまいます。すぐに真似しようとその時決心したはずなのですが、未だに学習出来ておりません。トイレから出てくるとき、僕の右ポケットは常にびちょびちょのままです。
 ましてや、つい先日、不思議なお話No25「北野タケシの傲慢」で、宗教的になるとお試し(試練)に会うなどと悟りきった顔をして文章を書いたにもかかわらず、またしても自分の悪しき性格を変えようと、親父の位牌に向かって誓いを立ててしまいました。その誓いの内容は以下の通りです。
  1 我慢強い人間になる(苛々する心を平穏に保つこと)。
  2 絶対にかっとしない(怒気を解放しにしないこと)。
  3 カエサルのように復讐心をすてる。
 1と2については、以前から僕のホームページを読んで頂いている皆様には或る程度ご理解頂けると思うのですが、3の「カエサルのように」はちょっと不思議に思われたかもしれません。でもそれには訳があります。

 僕は塩野七生女史の「ローマ人の物語」を何度も読み返していますが、実はユリウス・カエサルを描いた9巻から13巻を読むために読み返しているのです。そのたびに復讐心と無縁であったカエサルの偉大さに涙します。カエサルはローマ時代を代表する哲学者・文人政治家キケロへの手紙でこう書いています。
「私が自由にした人々が再び私に剣をむけることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもまして私が自分自身にに課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々にも、そうあって当然と思っている」
 当時の政治闘争は過酷でした。理想とする政体をめぐって権力闘争を繰り返しますが、それまでの権力者は復讐心に燃え、政敵を根絶やしにするのを常としました。でも、権力の頂点にたどり着いたカエサルは、敵対した人々全てを許したのです。僕はこんなカエサルに憧れを抱くようになり、そんな彼にあやかりたいと、僕の心の底にある復讐心を克服しようと思いたちました。
 どのような復讐心かと言いますと、僕に理不尽な行いを仕掛けた人間に対し、反省させずにはおくものか、絶対の後悔させてやるという強い思いなのです。それが僕の人間関係に悪い影響を及ぼしてきたことは確かです。
 でも、そんな誓いを立てたことが失敗の始まりでした。何故って?そんなことは分かっていたはずなのに、学習能力の欠如としか言いようがありません。またしてもお試し(試練)の嵐のまっただ中に立たされました。
 
  「歯車がかみ合わない」と言う言葉がありますが、僕を襲った事態はまさにこの言葉通りです。それまでうまく運んでいた物事のリズムがいきなり狂い始めました。もちろん、そそっかしい僕の落ち度はあるとしても、それが最悪な状態や時やシチュエーションで露呈することが重なります。
 また、難しい性格の人に対して全神経を使っていたにもかかわらず、恐れていたその人の難しい性格を自ら引き出してしまったり、僕をこよなく嫌っている人と、仕事上でこれまで以上の関係を持たざるを得なかったりと、全てが僕に忍耐を強いる状況を形成し始めました。したり顔でホームページに書いた、例のお試しが束になって襲ってきたということです。
 父の位牌に誓ったことを思い出し、慌てて、なかったことにしてくださいとお願いしたのですが後の祭りで、事態は急速に悪化して行きました。でも、不思議ですよね。そんな時に限って、ずっと音沙汰のなかった友人から電話が入り、僕の愚痴を聞いてくれました。また、生涯の座右の銘にも出合いました。皆さんも何か辛いときがあったら、僕が感銘したこの言葉を思い出してください。ちょっとここで紹介しておきましょう。

 これも、塩野七生女史のローマ人の物語に出てくるのですが、紀元2世紀のローマ皇帝・五堅帝の一人、アントニウス・ピウスが師を亡くし泣いている未来の皇帝に語りかけた言葉なのです。
「感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も何の役にもたたないことがある。そのような時には、男であることを思い起こして耐えるしかない」
 ローマ人の物語は何度も読み返していますので、この文章にも何度も接してきたはずですが、さほど気にも留めませんでした。ですが、この度は思わず赤ペンで線を引いた程です。じわじわと心にしみてゆきました。そして、今はじっと耐えるしかないと心底思ったのです。時々はかっとして感情を露わにすることはありましたが、僕としては随分と耐えた方だと思います。
 そして、今は?
 これに関しての言及は止めておきます。もし、ここで、仮にですが、事態は改善されつつあります、などと書こうものなら、更なるお試しが待ち受けているかもしれません。くわばらくわばらです。
 で、僕は思ったのです。これからは、身の程をわきまえて、ただひたすら謙虚に、ひょうひょうと、淡々と、生きよて行こうと。一挙に到達点を目指そうとしたのは傲慢でした。

 最後になりますが、少しだけ言い訳をさせてください。僕が感情を爆発させるのは理不尽さを感じた時だけです。小学校以来の友人達からは、僕は温厚な性格だと思われています(一部本質を見抜いている人もいますが)。もちろん、気のあった友人達との交友で理不尽さを感じることは殆どありませんから、当然と言えば当然ですが…。
 でも、僕の感じる理不尽さの範囲が年と共に小さくなっていることも確かです。理不尽をほどよくあしらって、受け流す術を身につけたのかもしれません。やはり無駄に年を重ねたわけではなかったようです。
 

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