不思議なお話No33 前世の落とし前のつけ方 

  今日の表題は、ヤクザが顔をしかめつつ 「落とし前をつけろてもらおうやないけ」などと言う場合の「落とし前で」で、この表題を目にした人が、何だろう? と興味をそそられるかなと思って採用したのですが、その効果のほどはいかがでしたでしょうか?ちょっと気になります。ところで、その意味するところは少し拡大解釈して「因果」です。
  ところで、今回のお話は一つ前の「不思議なお話No32 偶然の再会 その意味は?」の続編です。これを読んでいないと、今回のお話を十分に理解できないと思いますので、出来ましたら一つ前に戻ってご一読頂けないでしょうか。宜しくお願い申し上げます。  

  前回の不思議なお話No32で、偶然の再会に何かしら意味があるのでは? という僕の疑問について、「社長が僕に言った一言を思い出し、或るアイディアがおぼろげながら浮かんできました。」と書いたわけですが、まず最初にその社長が言った一言について述べたいと思います。それは例のお風呂やさん大抜擢以降の出来事です。

  この社長との確執は僕が30歳の時に始まり43歳で幕を閉じましたが、僕のこの13年間は、成長期にさしかかった会社が二部上場会社へと成長する過程であるとともに、創業者である彼が威厳と活力を備えたリーダーから愛情薄い陰湿な独裁者へと変貌する過程でもありました。
  当時、たまたまNHKの大河ドラマで緒形拳の息子が、権力という魔物に取り憑かれてゆく信長を熱演しておりましたが、ドラマと平行して、現実においてもその影絵のように映る社長の姿を、僕は見詰めていたのです。
  そこで、僕は人間達が作り出す理不尽の本質をつぶさに見ることが出来ましたし、そこから多くのことを学びました。あまりに学びすぎたためか、この社長は僕の夢の登場人物の上位にランクされています。目覚めるたびに、ほっと胸を撫で下ろすということを繰り返しているのです。
  そして、この社長の言った一言が今でも僕の脳裏にこびりついて離れないのですから始末に負えません。あの時、彼は電話口でこう言ったのです。
「これは、安藤君の傲慢さに対する研修です」
  もろもろの事情は割愛しておりますので、素直にこの言葉を受け取れなかった事情があることだけはご理解下さい。でも、その時、僕が心の中で思ったことを、ここで正直に吐露しておきます。次のように思っていました。
「冗談じゃねえや。研修をセットし、指示した部長に挨拶しただけで十分じぇねえか、たかが研修に行くのにいちいち社長室に挨拶に行くなんて聞いたこともねえ」
  僕のこの感情は今でも当然と思っていますし、研修から帰って仲間に話しても社長に憤慨する者が殆どでしたが、それなのにどういう訳か、この会社を去ってから今日に至るまで、僕はこの言葉をことあるごとに思い出し、自分を戒めてきたのです。これって何か変だなと思っていました。

  今になって思うことは、彼は、つまり社長は、僕の成長にとって必要な存在だったということです。何故なら人の忠告など耳を傾けようとしない傲慢な僕に、たとえその言葉が理不尽から発したのだとしても、強烈なインパクトをもって僕にインプットしてくれたからです。恐らく、僕のこの体験はイレギュラーなものであるとは思いますが、理不尽が人の成長に必要であるのは間違いないと思うのです。
  このように考えてくると、人は人生のあちこちに配置されている理不尽にどう立ち向かっていくのかが問われるわけですから、人々の成長を促すための様々な役割が必要不可欠ということになります。
  哲学的悩みにもだえ苦しむ人などおりません。全ての悩みの種は人間関係から生じます。どんない幸せそうに見える人でも、その人の許容範囲を超える悩みがあり、それを克服することが人生のテーマでもあるのですから、傷ついた心を優しく癒す役割と同様に、理不尽を作り出す役割も必要と言うことになるわけです。

  さて、これからが本題です。前世の落とし前ということを考えてみたいと思います。とは言っても、今、僕に分かっていることは、「不思議なお話No19 今は亡き友人からのメッセージ2」で述べたとおり、死が終わりでないこと、そして、どうやら死後も記憶や個性を保持しているらしいということだけで、最初にお断りしておきますが、これから述べることは純粋に僕の想像に過ぎません。ですから、言ってみれば大人の童話みたいに思って読んで頂ければよいと思います。

  僕は『不思議なお話No13 「偶然の出会い」そして「縁」について』のなかでこんな風に書きました。
  「縁のある人というのは、輪廻転生を一緒に繰り返す仲間だと思っているのです。ですから、最近、多少の縁でも、縁は縁ですから、縁のある方を大切に思うことにしたのです。こんな風に、僕の気持ちを変えさせるために、不思議な偶然は、偶然を装って僕の行く手に配置されていたと思っているのです」
  思い出していただけたでしょうか? でも、こんな風に考えますと、縁のある人々と言われれば、家族や仲の良い友人達ばかりを思い描がきますが、実はそのような人々ばかりではなく、僕たちが嫌っている、或いは貴方を苦しめている人々も輪廻転生の仲間かもしれないと思うようになったのです。
  と言うのは、不思議なお話No32では、暗闘を繰り広げた相手である早川をむしろ懐かしく思い出し、戦いを仕掛けた僕を彼が許してくれたように、僕も彼を心から許すという絶妙なタイミングで早川と再会しました。
 また、先に述べた社長の一言ががなければ鈍感な僕は未だに自分が傲慢だということに気付いていないかもしれません。この二つのことは、僕に或るアイデアを思いつかせたというわけです。

  そのアイディアを述べる前に、僕が文字通りコペルニクス的転回を遂げることになった一つの考え方を紹介します。それはテレビ番組の中で霊界のメッセンジャー、江原啓之さんが言った次の一言です。
「皆さんは、人は親を選べないとおっしゃいますが、実は人は天界から下界を見下ろして、それぞれのテーマに合わせて、成長させてくれる環境、つまり自分の親を選んで生まれてくるのです」
  この言葉は僕にとってまさにコペルニクス的転回となりました。どこがどうコペルニクス的かといいますと、輪廻転生における血筋の問題を一挙に解決してくれたのです。
  僕はそれまで、血筋と魂をセットで考えていましたから、貴族の家系に生まれる人間はその肉体に流れる血筋から言えば、輪廻転生するとしてもまた同じ貴族に生まれるとばかり思っていました。これでは輪廻転生する意味がありません。そう、親子といえども実は血筋とは全く関係のない個別の魂を持っていると考えた方が合理的なのです。
  また、ぐれた若者がすぐに口にする「生んでくれと頼んだわけじゃねえ」という台詞にどう反論したらいいのか全く分からなかったものですから、僕はすぐこの言葉を自説に組み入れました。パクリが僕のモットーです。すると輪廻転生の落とし前のつけ方の説明も論理的にうまくいくようになりました。
  先ほどの社長にスポットを当ててみましょう。彼は店頭上場、二部上場と進むに従い人が変わりました。最大の貢献者であった旧い部下達に難癖を付け、次々と首を切ったのです。僕はそんな彼を心から憎みました。でも、最近考えを変えたのです。彼を批判することはたやすいことですが、もし、僕が彼の立場に立たされたとき、僕がどう変わるのかは実際に体験していないので分からないということです。
  例えば、次に僕がこの世に生まれてくるとき、江原さんが言うように、一つのテーマ、どんな立場に立とうと傲慢に陥らないというテーマを選ぶとします。そうなったとき、もしかしたら僕も権力の魔力に負けて彼のように理不尽を作り出す役回りを引き受けることになるかもしれないし、或いはその魔力に逆らいながら優しさと愛情を人に与え続ける役回りを担うかもしれません。今の僕の完成度からいえば、前者の可能性が高いとしか思えません。
  つまり、この世には様々な役割があり、人は、成長させてくれる環境、つまり自分の親を選ぶと同時に、仲間と相談するのかどうかは別として、その役割をも選んで生まれてくるのではないかと考えたのです。
  悲しみと苦しみを与える役割の人もいれば、喜びと感動を与える役割の人もいます。そういう人々が作り出す幸、不幸、そして希望とが絶望が人生を成り立たせていて、人が成長するよう仕向けている。さて、この考えは、如何でしょうか?

  おや、その不満顔は何です?なになに、「落とし前」などという大袈裟な表現の割につまらな、ですって?えっ、因果なんて何処にもないじゃないか、ですって?
  因果律ならちゃんとありますよ。生前の行いが「因」で、転生するに当たってのテーマが「果」になっているじゃありませんか。「業」や「カルマ」はどうなったのかと言われても、僕は宗教家ではないし、単なる夢想家に過ぎませんので、残念ながらその問いにはお答えできません。
  人に不幸を与えた人は、その倍返しの不幸を与えるべきだとおっしゃるのですか? では聞きますが、今、不幸に見舞われている方々は、前世の因果によるとでも言いたいのですか?
  いずれにせよ、輪廻転生はそんな単純なシステムとも思えないし、人間様に分かるはずもありません。ましてや、僕になど……。
  どうです、僕って謙虚でしょう?

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