不思議なお話No42 みんな騙されてんじゃないの? 

 

 昨日、「不思議なお話No41 日本人の特殊性V」を書き上げて、眠りに就いたのですが、ふと気になったことがありました。それは不思議なお話No41の中で書いた「空」に関して、いきなり何の説明もなく、僕が長年考え続けて得た結論だけを読まされた皆さんは面食らったのでは、と思ったのです。そこで、もう少し説明を加えようと、ベッドの中でつらつらつらと考えていました。その時、突然あることが閃いて、まてよと思って飛び起きました。そして本棚の隅に置いてある分厚い本を手に取り、ページをめくりました。すると、やはり思った通りでした。この時、全ての謎が氷解したのです。
 とはいえ、もったいぶるわけではないのですが、その説明は後回しにして、つらつらと考えていた通りの経過を辿って、まずはとり急ぎ「空」に関する説明をしたいと思います。No41では、僕は次のように書いています。

物質の本質についても、石井の得たインスピレーションは非常に単純なものだった。物質は突如何もない「空」から生じる(これは事実、以後一つを除き全て仮説)。どのように?実は「空」自らが振動して素粒子へと変貌するのである。物質の最小単位と言われるクオークも「空」の振動によって作られる。

  我々の体を構成する全ての原子は「空」の波動(振動)によって生じる。つまり我々は「空」から生じたというより(これは事実)、実は、「空」がその姿を変えているに過ぎず、物質化した「空」なのである

  これは、我々の心或いは意識というものも説明出来る。つまり、我々が「空」そのものであるなら、そこから生じる想念波動もやはり「空」ということになる。物質化した「空」から生じた想念化した「空」は、心とも意識とも呼ばれる魂そのものである。それが絡み合い縁を形成しながら集合的無意識を構成』していると。


 最初の文章『実は「空」自らが振動して素粒子へと変貌する』を説明いたしますと、これはパクリです。次の文章をご一読下さい。
『物質は(「空」の中の)エネルギーのかすかな増加であり、従って物質は相対的な安定性をもって顕示化するいみで、このエネルギーのとてつもない大海の小さなさざ波に似ている』

 この文章は、、「不思議なお話NO27 お試しの原理」でも紹介したK・ウィルバー著「空像としての世界」の中で、デイビッド・ボームが語たものです。少し難解かもしれませんので解説します。
 『物質は(「空」の中の)エネルギーのかすかな増加であり、従って物質は相対的な安定性をもって顕示化する』についてですが、実は素粒子の世界を覗くと、真空中では物質の元になる粒子が突然現れたり消えたりしていますので、「空」は空っぽの空間ではなく、物質の元になる素粒子がたくさん詰まっていると考えられています。ですので、この文章の意味するところは、「物質は、その生成消滅を繰り返す不安定な素粒子が、まあまあ安定してその状態を保っている存在」だということです。
 次の一文、『このエネルギーのとてつもない大海の小さなさざ波に似ている』ですが、この表現、つまり物質はこの空という「エネルギー」の「大海」の小さな「さざなみ」に「似ている」という表現を、僕は『「空」自らが振動して素粒子へと変貌する』と拡大解釈しています。僕の脳は小難しい物理学の記述には拒否反応を示しますが、こういう小賢しいところでは活発に働くようです。
 さらに僕の拡大解釈は留まることを知りません。僕の「空」に関する定義の後半戦を解説すると次の通ようになります。
 僕たちという存在が「空」の振動によって生じているとするなら、僕たちが考えたり思ったりすることによって生じる想念波動も「空」であり、さらにその想念波動こそ、僕たちの実体であると主張しているのです。そして最後は、その想念波動は僕たちの感知できない別の世界で、織物の縦糸と横糸のように折り重なり合い絡み合い、縁を形成しながら集合的無意識を構成していると結論しています。

 不思議なお話No42で、説明不足であった僕の「空」に関する補足説明は以上の通りですが、このように考えてきますと、つまり僕たちの実体が思惟、或いは思考という少しも物質的でないものだとすると、僕たちは何とも馬鹿でかい容器(つまり体)の中に収まっているとお思いになりませんか? しかも重たいし、余分なものも付いていますし。
 ところで、この馬鹿でかい容器は食物を摂取することにより体積と重さを獲得してきたのですが、その元になったのは植物です。その植物は太陽の光を取り入れて成長し、すべての動物を生かすエネルギー源になります。肉食動物は植物を食べる草食動物を食べ、植物を間接的に頂いてその命を繋いでいるのです。その元の元を辿れば、僕たちは光子によって生かされてきたことになります。
 ここで、僕の思考は植物、太陽の恵み、光子、ビッグバンと移行してゆきましたが、最後の光子・ビッグバンは何だろうと? と思われたかもしれませんが、僕の頭の中では繋がっているのです。
 ここで、光子について小難しい話をするつもりはありませんので、まずはご安心してください。まあ、光子は光りを構成する最小単位とでも認識して頂ければけっこうです。
 この光子はビッグバン宇宙論によりますと、宇宙開闢以来存在していたと言いますし、今もこの宇宙に溢れていますので、僕の頭の中でビッグバンと繋がったというわけです。そして、僕はこのビッグバン宇宙論を信じておりませんし、分からないながらも何冊か本を買って読みましたが、納得できない思いを拭えませんでした。
 
 僕が納得できないと感じていた理由をこれから述べたいと思いますが、小難しい話ではありませんのでお気を楽にして続きをお読み下さい。

 最近僕の記憶装置の調子が思わしくなく、それを何処で、誰から聞いたのか思い出せないのですが、或いは中学か高校の先生が授業の合間に雑談として話したのかもしれません。とにかく、僕の記憶はいきなり次の言葉が飛び込んできたことから始まります。
「この棒磁石の磁力線は、N極からS極へと放物線を描くように回り込んで行くけれど、面白いのはN極から真っ直ぐ伸びた磁力線は真後ろからS極に戻ってくることです」
 これを聞いて、いつもの様にぼんやりした頭で思い描いたのは、磁力線が宇宙を一回りして元に戻ってくるというイメージです。僕はなーるほどと頷きつつ無限の記号「∞」に思い当たりました。そして一人先人が残した知恵の深さに思わず感心したのです。ただ、残念ながらこの磁力線に関して裏を取っておりません。どの本を読んでも、そのような記述には出会えませんでした。(これに関し何か情報がありましたらご一報下さい)
 さて、これが僕が考える宇宙の姿の原型ですが、もう一つ、耳学問で知ったある事実が僕の心を捉えました。それは宇宙と人間の共通項なのですが、僕たちは宇宙を外側から眺めることは出来ず、常に内側から見上げるしかありません。そして、その宇宙を見上げる自分自身は、けっして自分を外側から見ることが出来ないということ事実です。
 この事実を知って僕はこんな風に考えたのです。僕たち一人一人を中心にして大宇宙は広がっている。つまり宇宙の中心に自分がいることになります。そして、ここからは僕の想像にすぎませんが、宇宙を見上げる僕らの視線をずーっと辿ってゆくと、僕ら自身の意識に辿り着き、逆に僕らの意識の深淵をどこまでも潜ってゆくと集合的無意識を通り過ぎて宇宙に至るということです。あの無限の記号「∞」の円と円の交点に自分が立っていると。
 
 これが僕の宇宙観です。ですから、今から150億年前、突如何もない空間が大爆発を起こして宇宙が誕生し、現在も膨張し続けているというバッグバン宇宙論は、どうしても受けいれられないのです。そんな馬鹿なというのが正直な気持ちです。
 そして、今から20年ほど前、僕は運命の本に出会ったのです。何冊かのトンデモ本ですっかりファンになっていたコンノケンイチという作家が、「ビッグバン理論は間違っていた」という本を出したのです。トンデモ本の作者ですから最初は何の期待も抱きませんでした。しかし、読んで驚きました。ビッグバン理論の矛盾点を指摘し、或いはビッグバン理論では決して説明できない天文学的な事実をあげ、それを完全否定するばかりではなく、僕のイメージする宇宙を、いやそれ以上に理論的で明瞭な宇宙の姿を語っていたのです。
 実に理路整然とした、僕のような文化系人間でもそのイメージを形作ることが出来るように配慮した文章です。宇宙と言う複雑さの塊のような有り様を語るのに、物理学用語を最小限にし、素人でも分かるよう工夫を凝らしています。しかもこの方は、1980年に『現代物理学の死角』という本を自費出版し、学者たちからから集中砲火を浴びたという凄い人でした。学者は、取るに足りない理論であれば放っておくか、無視を決め込みます。でも、学者たちがどうしても座視できない内容だったのでしょう。

 僕が宇宙をイメージすることが出来たこの本にご興味のある方は、右下にアマゾンのURLを張り付けておきましたので、是非お読みください。


 さて、いよいよ冒頭で、僕が「全ての謎が氷解した」ことについて述べたいと思います。「なるほど」と唸らせるのは無理としても、「ウン、それはあり得る」と思わせることが出来ればよしとしましょう。
 これはやはりコンノ先生の「ビッグバン理論は間違っていた」の中に書かれていたことなのですが、彼の前著「ホーキング宇宙論の大ウソ」という本が、大新聞・朝日新聞によってバッシングされたというのです。その見出しは「見過ごせぬ疑似科学出版」、その副タイトルには「明確な誤り、堂々と単行本に、出版人の不見識、堕落のぞく」とあったそうです。この見出し、そして副タイトルの裏にある憎悪と悪意、そのまた裏に隠された嫉妬、その激しさに思わず背筋が寒くなります。当事者達に最大限の侮蔑を与えるための言葉の羅列です。
 皆さんは知らないでしょうが、新聞記者も超エリートなのです。国家行政の幹部候補生・キャリアを選抜する国家公務員1種試験(暗記力テスト)とほぼ同じか、少し落ちる程度の試験をパスしてきた人々なのです。彼らも私が一番という思いは強いのですが、殆どの方が創造性に欠けますので、深い知識はあっても人々の興味をそそる文章を書けませんから(人のことは言えませんが)、創造的才能のある人間に向ける憎悪と嫉妬は半端ではありません。恐らく、出版社に対しコンノに本を書かせるなという無言の圧力をかけたのでしょう。
 でも、疑似科学と言うならもっとトンデモない本がたくさんあります。コンノ先生の本だけが取り上げられたというのは不思議にお思いになりませんか? コンノ先生は、その理由を窺わせるもう一つのエピソードも書いておられました。
 そのエピソードを紹介します。京大教授・佐藤文隆著「宇宙のしくみとエネルギー」に書かれているという一文をそのまま転載させて頂きます。コンノ先生もお許し下さると思います。まずはご一読ください。
「何を言っているのか分からなければ、毒にも薬にもならないが、分かりやすいと影響力がある。そうだとすると昨今の学者は、当局に睨まれるのを警戒して、わざわざ難しいことを言っているのかもしれない」
 確かにコンノ先生の宇宙はイメージしやすいのです。それと、この「当局」はとは誰のことを言っているのかということが気になります。思い当たるのは文部科学省、でも黒幕は恐らくその官僚たちを動かしている未知の勢力ということになるます。はたしてその未知の勢力とは? などなど、僕はベッドの中で思いめぐらせていたのです。
 
 ところで、20年前に読んだ「ビッグバン理論は間違っていた」では、曙はすぐそこに来ているはずでした。瀕死のビッグバン理論はすぐにでも消えてなくなる運命と思われたのですが、未だに健在なようです。その未知なる勢力が思ったより強力だったのでしょうか?
 僕はベッドに身を横たえたまま考え続けました。「宇宙が誕生してからたったの150億年だって。そんな馬鹿な。地球の誕生は今からおおよそ50億年前。もし、地球の誕生を一日と数えるなら、宇宙はたった三日前に誕生したことになる。ん、ん、ん、ん、ん、ん。 三日前だって?!」 僕はがばっと起きあがりました。そして本棚に行って分厚い本を手に取りました。勿論それは聖書です。ページを急ぎめくります。そこには僕の記憶通りの記述が書いてありました。
『神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。
 ーーー中略ーーー
これが第三の日である』
 これは明らかに地球の誕生の物語です。何故なら神は第一日目に「光りあれ」と言って夜と昼を、第二日目に「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」と言って水を大空の上と下に分けさせました。大空の上の水とは、雨を降らす雲のことでしょうか?いずれにせよ大空を天と呼んだとしか書かれておらず、地についての記述はないく、天の下には水しかなかったことになります。そして第三日目に乾いた陸地を創造したのです。つまり地球の誕生です。
 ここで言えることは、旧約聖書の民にとって地球の50億年前の誕生から逆算すると、宇宙の誕生は150億年前でなけれなならなかったということです。従って未知の勢力とは旧約聖書の民、ユダヤ、キリスト、イスラム勢力ということになります。その全てであるかもしれないし、その内の一つ乃至二つかもしれません。いずれにせよ、侮りがたい勢力です。そして経済のグローバル化が、これらの勢力の日本に及ぼす影響を増大させているものと思われます。如何でしょうか? 僕の考えすぎでしょうか?
 
 一昨日の晩、寝ぼけた頭で大発見だと思ったものの、書き終えてみれば、なんだか大したことなかったと感じて、今では恥じ入っています。えらい、すんません。 
 

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