不思議なお話No49 「永遠のゼロ」について

 シンガーソングライターである小椋佳氏が、テレビのインタビューに答えて、かつてこんな風なことを語ったのを覚えています。
「僕の場合、曲を作るというのではなく、ふわっと、メロディーが浮かんくるので、それを繋いでゆくんです」
 この言葉は、インタビュアーが、小椋氏が20代前半でヒット曲を飛ばしたにもかかわらず、その後、何故、銀行というお堅い職業に就いたのかという問に対するものでした。そして小椋氏はこう続けたのです。
「ですから、もし、メロディが浮かばなくなったら、僕のミュウジシャンとしての生命は絶たれてしまいます。そのことが、あの当時、すごく怖かったのです」と。
 確かに、大ヒットを飛ばした後、鳴かず飛ばずで消えていったミュウジシャンは数えれば切りがありません。また、久々にヒット曲を世に送り出したミュウジシャンの創作の苦労話が伝わってきますが、それこそ身を削るような思いで曲を生み出すのだそうです。これに比べると小椋氏の曲がふわっと浮かぶという一言が妙に印象に残っていました。

 そして、つい最近、これに関して僕が心に思い浮かべたのは、実に僕らしいのですが、自動書記という言葉です。エドガー・ケイシーもそうですが、世の中には霊媒体質の方がいて、筆が勝手に動いて本人が思ってもいない不思議な文章を書き始めます。これが、「ふわっと、メロディが浮かぶ」ことに通じるのではないかと考えたのです。
 その自動書記でも特に有名なものに大本教の出口王仁三郎が弟子に口述筆記させた「霊界物語」があります。王仁三郎は僅か7〜8年で400字詰め原稿用紙25,000枚もの大著に仕上げています。数世紀に渡って書かれたあの分厚い聖書がせいぜい3300枚程度ですから、この物語の膨大さは尋常ではありません。
 この王仁三郎と会見した大宅壮一が、「内容は別にしても、これだけのものがどうしてできたかは、興味のある問題である」と述べていますが、その源を想像するヒントが王仁三郎の口述のその方法にあります。
 「王仁三郎は30分ほど睡眠、目覚めると横たわったままある種のトランス状態で口述した」とありますから、エドガー・ケイシーのリーディングと同じ源から発していた可能性は大きいのです。ケイシーも自己催眠で眠りに陥り、その後、別の人格がケイシーの口を借りて、病苦に苦しむ人々を癒すための処方を語り始めました。
 このリーディングの情報の源はケイシーが自ら語っているように集号的無意識領域なのですが、自動書記も同様と考えられますし、さらに言うならミュウジシャンが曲を作るときにも全く同じではないにしろ似たような現象が起きるのではないかと、ふと考えた訳です。霊媒体質の方はいとも簡単に、そうでない方はひたすら意識を曲作りに集中させることによって曲が形作られ、さらに敷衍するなら、実は作曲だけでなく様々な創作活動においても、この不思議が起こっているとも考えられるわけです。

 ところで、「意識を集中させると不思議な現象が起きる」と何度も書いてきましたが、これは聖書の「求めよ、さらば与えられん」という言葉にも通じることで、何かをやり遂げようとする必死の思い、或いは情熱が集中力を極度に高め、本人にとって都合の良い偶然を呼び込み、求めていた情報なり状況なりが与えられることになります。
 そして、創作に関わった多くの人々の必死の思い、或いは情熱が集中力によって一点に収斂された好例が映画「永遠のゼロ」ではないか、というのが今日のテーマです。

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  http://youtu.be/6agIk5I62nA

 さて、僕が「永遠のゼロ」を読んだのは3年ほど前のことです。たまたま職場に防衛省の事務官だった方がおり(この方も小説を書いています)、この方のお薦めでこの本を読んだわけですが、僕は感動のあまり声を出して泣きました。今でも、その数々の情景を思い浮かべると目に涙が滲みます。(年をとると涙腺が緩むようです)
 その「永遠のゼロ」が映画化されると聞いたときは、原作を汚さないで欲しいという思いを抱いただけですし、その主演男優が岡田准一と聞いたのですが、テレビを余り見ない僕には誰だかさっぱり分らなかったのです。ところが、その岡田が「ジャニーズ」だと知ったときには怒りに震えました(ちょっと大袈裟)。岡田という俳優を知りもしないくせに、僕が作り上げていた主人公のイメージとは絶対に合わないと判断したのです。
 まして、小説の映画化で成功した例を知りませんし、小説の行間に漂う微妙なニュアンスこそ感動の源だと信じて疑わない人種にとって、映画のおおざっぱさは、原作を知るが故に物足りなさを感じてしまうのだと思っていました。この見解は女房も同様で、二人して「ジャニーズだってよ、おいおい・・」と小馬鹿にしていたのです。

 ところが、その妻が友人に誘われ「永遠のゼロ」を見に行くはめになったのですが、映画を見て帰ってきた途端、その感動を僕に熱っぽく語り出したのです。
 「あの岡田がいいのよ! 特にあの暗い目。何とも言えない雰囲気、表情、目線、その演技力はとてもジャニーズとは思えなかった。例えば、横を飛んでいる故障した零戦に向かって、引き返せって指示するんだけど、その仕草、その表情に込められた何とも言い難い思い、本当に迫真の演技だったわ」
 そう言われると単純な僕は、悲しみ、怒り、憐憫、諦念の入り交じる表情を、つい思い浮かべて、目頭に涙が滲んできます。今の若い方々が「きけ わだつみのこえ(第二次大戦で散っていった若者達の遺稿集)」を読むとは思えず、岡田のその表情にこそ若くして死を覚悟せざるを得なかった多くの若者達の思いが込められていて、岡田がそれを画面を通して現代の若者達に訴えていたのでは、と思ってしまいます。

 そして、「小説にこんな場面あったかしら?」と妻が疑問をもったシーンが二つありました。僕は二つとも無かったような気がするのですが、なにせ読んだのが3年前ですから記憶も曖昧ですし、借りた本だったので確かめようもありません。でも、もし小説になかったとしたら、この映画の脚本家は賞賛に値すします。何故ならそれによってさらに多くの方々の共感を誘ったからです。
 最初のその一つシーンは、終戦間際に特攻隊員として出撃した祖父の思いに触れた、この物語の語り手である若者・健太郎が、カミカゼ(特攻)と自爆テロを、洗脳と言う言葉で一括りにする友人と取っ組み合いの喧嘩をする場面です。
 この特攻と自爆テロとを同一視するのは、実体を知る人であれば誰でも首を傾げると思うのですが、実は僕もカミカゼと自爆テロを同列に扱う全ての論評に対して強烈な反発を覚えていたのです。
 かたや攻撃対象は敵艦、一方は犠牲者の多くが無辜の市民です。まして物心つく頃から家族のコーランを唱える声を聞き、日に何度もアラーの神に礼拝してきた人々です。イスラムの教えによれば、聖戦(ジハード)で命を失う者は、死後、天国に召され、めくるめく世界で永遠の命を与えられ生きるのです。
 一方、、学究半ばにして学徒出陣し、特攻隊員として散っていった若者達は、本当に天皇を現人神(アラヒトガミ)として崇め、その天皇を中心とする国家神道を信じていたのでしょうか。答えは否です。僕は何人もの戦中派の方々にその問を投げかけてきましたが、一人として信じていた人などいませんでした。
 「大の大人は、そんな子供騙しの話ば信じたりしねえ」
 これは、僕の母方の祖母の言葉です。祖母も戦争で子を一人亡くしています。
 では、何のために? それは言うまでもなく、愛する祖国、愛する人々のため。これに尽きるのではないかと思うのです。理不尽な死を強いる状況を作り出した人々(誰だ、そいつは? 出てこい!この野郎)、そして時勢に対する憤りはあっても、愛する祖国、愛する人々のために殉じるという崇高な使命のために死んでいったのではないのでしょうか? 死の先に何があるかも分からず、それでも勇気を振り絞り死の恐怖に立ち向かったのだと思うのです。死して後、天国を約束された人々と同列にするのは明らかに間違です。

 次はこんな場面です。主人公と、健太郎の祖父(義理)となる賢一郎が、星空のもと河原で語り合うシーンです。妻に聞かされただけですので、何を語り合ったのか詳しくは知りませんし、どのような表情で主人公がそのセリフが言ったのかも分りませんが、僕はそのセリフに強い衝撃を受けました。
「将来、この日本はどんな国になっているのだろう?」
 これを僕は、「きっと良い国になっているはず」だという二人の思いに反する、現在の有り様に対する痛烈な皮肉。彼らが何のために死んでいったのか、という映画の製作者達(特に監督)の強烈なメッセージだったと解釈したのです。

 今の社会を省みるに、将来ある若者の精神を蝕むほどの労使関係で利益を絞り出す経営者が、何と多いことか。精神が病んで使い物にならなければぽいと捨てる。そのことに恬として恥じない人々。こんな人間ばかりが大手を振ってまかり通る世の中です。
 まさに若者にとって受難の時代と言えるでしょう。それは一部の特権階級が富を独占し、新参者が入り込む機会を奪っているからです。これが最大の原因とするなら、もう一つ、これは僕が前職で目の当たりにした現実で、小さなこととはいえ見逃せない要因があります。それは若者の職場を奪う天下りノンキャリア官僚です。
 彼らは高額な年金をもらいながら、さらに豊かな老後のために民間に居続けるのです。キャリアばかりが問題にされますが、もし、この天下りノンキャリア官僚の所得総額をGDP換算すれば驚くべき数字になるはずです。
 経営者は彼らの代わりに若者を雇用すべきなのですが、官僚システムはそれを許しません。まさに「官僚組織の肥大化」は民にまで浸透し、日本経済の活性化の足を引っ張っているのです。マスコミが何故この問題を取り上げないのか不思議でなりません。
 そして何と言っても、我々は、天から授かったこの自然豊かな日本の大地を汚してしまったという事実は、我々日本人に悲しみを越えて絶望をもたらしました。これ以上日本の大地を汚さないで欲しいというのは日本人の共通の思いでしょう。どうか尊き英霊の皆様、この日本をお守り下さいと祈るより他ありません。

 日本人は恥を知る民族だったはずです。いつからこのように恥を知らない人々だらけの社会になってしまったのでしょうか? その一つの原因が、「死=無」であるという最近のマスコミの論調にも原因があるのではと思うのです。「死が無なら、今を楽しまなければ損だ。そのためには金、金、金」となります。
 「不思議なお話NO17 僕が不思議な体験をする理由」で取り上げた女性評論家の言葉を再度掲載します。
  「生まれ変わりの思想が、今の子供達の自殺を助長している。ゲームのスイッチを切るように、子供たちは生のスイッチを簡単に切ってしまう」
 どうです? 生まれ変わりの思想が子供達の自殺の原因なのだそうですよ。こんな風な論調で原稿を書けば、マスコミも取り上げてくれるというわけです。

 日本人は亡くなられた方の霊を尊重する民族でした。葬儀の時に使われる「冥福を祈る」という言葉はあの世での心の安らぎと幸せを祈るという意味ですから、あの世の存在が前提としてあったのです。まさに言葉は文化なのですから。その文化が、本当に子供達の自殺を助長しているのでしょうか?
 この映画のシナリオはこの疑問に対して答えを与えてはくれませんが、僕はこれから皆さんが思いもしない視点から、この問に対する答えを導き出したいと思っているのです。
 そのやり方は簡単です。先ほど「意識を集中すると不思議な現象が起き、好都合な現実が向こうからやってくる」と述べましたが、こうした事実を拾い集めれば何かしら不思議な力が働いたことの傍証になるわけです。これは、あくまでも傍証に過ぎませんが、そこから何かを感じ取っていただければ良いのです。

 偶然その1:文庫本になっていたこと。
 シナリオライターの百田尚樹氏が、一念発起して「永遠のゼロ」を書き上げたのは平成18年です。氏は、出版社に持ち込みましたが、どこにも相手されず、唯一、この小説の凄さを見いだしたのは太田出版でしたが、鳴かず飛ばすで平成21年、講談社から文庫本として出版されました。
 その間、じわじわと口コミによって若者の間に噂が広がりますが、太田出版のハードカバーは1600円でしたから余程小説好きでなければ買いません。それが廉価な文庫本です。若者を中心に売れに売れ、既に350万冊を突破しました。文庫本の小説で300万を突破するなどまさに驚異的です。

 偶然その2:作者の思い。若者に戦争の悲惨さを語り継ぎたいという意図があったこと。
 百田氏は、父親から戦争の体験談を聞いていましたが、その父親が自分の子(つまり孫)にはそうした話を一切しなかったことに思い当たります。やはり、戦争の悲惨さを語り継がねばならないと感じていて、今は亡き父親から孫への橋渡しが出来れば、という思いで書いたのだそうです。

 偶然その3:最後の学徒出陣の若者達は、昨年88才の米寿を迎えていること。
 昭和19年、徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、この19才の最後の学徒の生き残りの方々が、昨年、88才を迎えました。つまり、ごく少数を除いて語り継ぐべき方々は鬼籍に入っているということです。これが何を意味するかは、後ほど述べたいと思います。

 偶然その4:才能或る人々によって映画化されたこと。
 監督、脚本家、俳優、全てが才能に恵まれていて、その彼らが原作者の思い、若くして死を覚悟しなければならなかった人々の思い、それぞれの思いを伝えるに十分な仕事を成し遂げられたからこそ、大ヒットしたのだと思います。

 このように書き出してみると、当たり前のことばかりでちょっと我ながらガクッときましたが、それはさておき、僕がもっとも最も不思議に思っているいことが、「偶然その3」なのです。
 特攻隊員だけが特別なのではなく、戦争で亡くなった全ての若者達が状況は異なってはいますが、覚悟を決め特攻隊員と同じように自ら命を捧げたのです。その思いを象徴しているのが、たまたま特攻隊員だということです。その方々の奥深く、底知れぬ思いが、死は無なのだからこの世に残っていないなどとお思いですか?
 或いは、語るべき人々が、まさにこの世から消え去ろうとしているこの時期に、「永遠のゼロ」が空前のヒットしたことが、単なる偶然だとお思いですか?
 僕は、何度か「人間は常に、隣り合わせに存在する霊界の霊達の思いに晒されている」という、スエデンボルグの言葉を紹介してきました。そして、最後の学徒達が88才の米寿を迎えましたが、その方々が亡くなれば、戦争の現実を語るべき人々がこの地上から消えてしまうのです。それを憂うかのように、戦争でなくなった方々の思いが、ふわっと百田尚樹氏の脳裏に浮かび、この作品を書かせたのだと、僕は解釈したのです。

 最後に、この作品が遺作となった俳優、夏八木薫が現代の若者に語りかけている場面があるそうです。そこで何が語られるのか、僕は知りませんが、妻に言わせれば深く趣のあるシーンだそうです。どうか皆様、映画「永遠のゼロ」を見に行き、夏八木薫が語るその言葉をかみしめてください。

 

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