不思議なお話No51 予言について その2

 この章は、「不思議なお話No50 予言について その1」の続きです。お読みでない方はNo50を読んでから、再度ここに戻ってきて欲しいと思います。宜しくお願いします。

 今度は未来予言について考えてみたいと思います。ただ、ここからは僕の時空を超えるという体験を、僕なりに解釈したうえでの論証ですので、これが当たっているか否かは皆さん自身で判断してください。あくまでも、僕ひとりの現時点での考えに過ぎません。

 さて、「予言とは、云うまでもなく未来の出来事を言い当てること」ですが・・・、とまあ、この短い文章を書いている数秒の間にも、過去、現在、未来と順に時間は流れています。もっと短く「今」と一瞬で叫んだとしても、それが電子時計が計測できる最小単位だったとしても、さらに細分化されて過去、現在、未来と時間は流れています。
 では「今」とは何なのでしょう? 最新の現在というだけのことでしょうか? 僕は、自分の経験を通して、今という時間を再検討してみました。その結論は三つあります。
 まず一つ目ですが、今は「過去、現在、未来」の全てを含んでいるというものです。(このような考えに傾いた理由については「不思議なお話NO8 僕が時空を越えた瞬間」を参照下さい)
 二つ目ですが、今は、因果律を含んでいるいると云うこと。それは誰でも認めざるを得ないでしょう。僕は5分前にウイスキーのダブルを一気に飲みほしました。そして今、僕の顔が真っ赤です。どうです、今は因果律を含んでいますでしょう。
 そして三つ目ですが、今は縁を含んでいます。もし、僕の睨んだ通り、物質の最小単位と云われるクオークが、空が振動して形成されているとするなら(不思議なお話NO16 僕の考えた不思議の原理」の第十六章参照)、目の前にあるこのパソコンも机もこの家も、さらに地球さえもその実体は無でしかありません。そして、パソコンに向かう今の僕のを考えるなら、確実に存在すると断言できるのは僕という意識でだけあり、その意識は集合的無意識領域において縁のある方々と布を織りなす糸のごとく重なり合っているのです。

 では、ここでいつもの思考実験です。

 今、僕は書斎でパソコンに向かっています。隣の部屋では奥さんが本を読んでいるのか咳一つしません。階下では、母親が炬燵でうとうとしているはずです。僕の最も深い縁のある二人が同じ屋根の下で、今を過ごしています。
 この三者三様のシーンと念頭に置いてください。そして、その30分ほど前の夕食時、僕は妻と口論をしたとします。三人は別々の部屋で今を過ごしていますが、僕と妻は先ほどから喧嘩相手にどう出るか思案中と云うことになります。
 この場合、夕食時に妻と口論したことは過去、今三者三様に部屋で過ごしているのが現在、問題は明日の朝食時、つまり未来がどうなっているかです。未来は現在の僕の行動によって決まります。
 ここで、もし僕が言い過ぎたと反省し、謝ろうと思っているとします。すると未来、つまり明日の朝食は和やかな雰囲気の中でとることができるわけですが、意地を張りっぱなしで現在をすごせば、朝食は険悪な雰囲気のなかでとらざるをえません。現在は二通りの未来を含んでいます。
 いかがでしょうか。今という三者三様の現在は、因果律によって過去を引きずっており、現在の良き判断か悪しき判断かによって二通りの未来が用意されることになります。つまり、人は常にこの二者択一を迫れれており、多少のブレはあるもののこれに沿って決断し、未来を確定させます。
 もし、この段階で街の占い師が僕を透視したとします。その時、僕が思い悩んでいる最中なら、その時々の、どちらか一方に傾いた僕のぼんやりとした未来が見えるだろうし、もし謝ろうと隣の部屋のドアに手を掛けた時なら、もう少し輪郭が明瞭な和やかな朝食風景を目にすることになります。そして、この確定した未来は今現在と同時に存在するというのが僕の辿り着いた結論です。
 
 このように考える契機となった出来事、「不思議なお話NO8 僕が時空を越えた瞬間」で紹介した僕の体験をもう少し掘り下げてみたいと思います。

 あの頃の僕は妄執とは言え極度の集中力で巨大地震が起こるであろう未来を見詰めていました。寝ても覚めてもそのことが頭から離れることがなかったのです。どのくらいの期間であったのか記憶は定かではないのですが、恐らく半年くだいだったと思います。
 そして時空を超える一瞬が訪れる2〜3週間ほど前から、不思議な現象が起こりました。いつも見る朝刊の四コマ漫画の内容が、その図柄全体を見た瞬間に台詞まで分かってしまうという現象です。その漫画を昨日よんだという記憶が厳として残っているのです(時空を越える瞬間の詳細は本文を参照下さい)
 あの頃、僕が何を求めていたかとというと、あの霊能者・高松恭子女史が言及した巨大地震の予兆です。それは二つありました。一つは巨大地震の前に富士山に異変があること、そして、今一つは、直前に、工事現場で釣り上げられたガラスのロープが外れ、落下したガラスが下にいた工事関係者の首を切り落とすと言う悲惨な事故が起こることでした。
 僕の意識は極度の集中力でこの二つの予兆を探し求めていたわけですが、時空を超える直前に起こった4コマ漫画の話は、いよいよ僕の意識があの世界に入ったことを意味します。どの世界ですって? 分かりませんか? ケイシーがしばしば訪れた世界です。
 先のNo50に登場した「我々」はこう述べています。『彼自身(ケイシー)の潜在意識が他のあらゆる潜在意識と直接交わ』ることが出来、そして『この方法で何千何万という他人の潜在意識の有する知識の全てを収集する』のだと。
 そうです。僕の場合は妄執によるとは言え、極度の集中力によって、ケイシーと同じ精神状態に至ったというわけです。そして潜在意識の中を彷徨い、富士山特集を組むという出版社の方を知ります。その出版時期、さらに毎日利用する電車の中で隣り合わせになる男性がそれを買うことも、聞こえよがしに記事の内容を友人に話すことも知ることになったのです。
 ここで言えることは、集中力によりケイシーと同じ精神状態に入ると、4コマ漫画の例が示すとおり、意識が変貌するということ、そして変貌した意識は未来の意識に転換可能だということです。このことから、もしかしたら、今という時間と空間は、過去・現在・未来と意識がたどる状態の変化を意味するのかもしれないと思ったのです。
 
これをもう少し具体的にイメージしてみましょう。僕のイメージはこういうものです。僕たちは常に良き判断か悪しき判断かの二者択一を迫れら、その都度どちらかを選択し生きています。その僕たち全員の選択の総決算、つまりそれぞれの選択の相関関係によって未来の総枠が決まります。これも確定した未来といえます。
 この総枠の中に、個々人の失敗や成功、幸不幸、喜び悲しみ、そして政治家や経済人の決断によって決まる社会の有り様も含まれるわけですが、現在の行動によって個々の未来が変わると共に、この総枠の未来も変わってゆきます。つまり、僕たちの意識は、予め決められた総枠に沿って過去・現在と意識を移しきて、さらに新たに変貌した未来へという道筋を辿っているというイメージです。

 次に、高松女史の二つの未来予言について見てみましょう。

 高松女史の霊感はずばぬけていますから、講演会の会場を見回したとき、僕の異常な精神状態に気付いたはずです。とにかく、女史の巨大地震の予言を信じ切って、異様な目をして一つも聞き逃すまいと見詰めているのですから。そして、女史は僕のその思いに応えてくれました。それが富士山の異変に続く二つ目の予兆、工事現場の事故の話です。これが地方紙にも載らない僕の近所の出来事だったのですが、これが一つ目の未来予言です。
  今一つの未来予言は、会場のある地方都市から望められる急峻な山で、女性ロッククライマーが岩もろとも滑落死するという事故の話です。これは一週間ほど後に、朝日新聞に写真入りで一面に掲載されており、彼女の予言の確かさを確認しています。
 この二つの未来予言、未来に起こるこの二つの事故の情報を、女史がどのように入手したのかという可能性を考えてみます。先ほどのケイシーが情報を入手する方法を念頭に置いてお読みください。

 まず、工事現場の話ですが、これはさほど難しくはありません。何故なら会社員である僕は毎日の通勤時間も通勤経路も決まっていますから、確定した未来は僕の意識をたどれば、すぐに捉えることが可能です。そして巨大地震が起こる寸前、僕がバスの中で聞くことになる主婦達の会話の中に、その工事現場の事故の話があったと考えればよいのです。
 次に山岳事故の話ですが、会場に参集した人々の中には当然この地方都市の近隣の方々も参加していたと思います。女史はそうした人々の中で、お友達同士で参加した二人をたまたま見つけ、その方々の確定した未来、例えば数日後に喫茶店で茶飲み話に興ずるシーンを見ることが出来るとします。その中で交わされた会話の中に山岳事故の話題が含まれたのかもしれないのです。

 最後に、肝心要の「日本列島を巨大地震が襲い、列島はファッサマグナに沿って真っ二つに割れてしまうという」予言が、何故外れたのかという問題を検討してみましょう。

 そのことを僕が知ったのは何時のことだったのか、巨大地震の起こるという日付の後なのか前なのか、記憶が定かではないのですが、高松女史はこの予言情報を得た状況を告白していたのです。実は、女史は、突然目の前に現れた西洋の夫人から日本を襲う巨大地震の情報を得たと言うのです。その夫人の名は、マダム・ブラバッキーと言います。
 おそらく、この夫人の名前を知らない方が殆どだと思いますが、高松女史も初めて聞く名前で、百科事典で調べてみるとその写真が載っており、自分が見た通りの姿形をしていたと述べています。このマダム・ブラバッキーは19世紀に活躍した神秘思想家で、インドの神秘思想に傾倒していたと記憶しておりますが、レムリア大陸の存在を最初に主張した方です。
 ここにおいて、このマダム・ブラバッキーが本物であったのか偽物であったのかは問題にしません。僕に分かるはずもないからです。それより、僕はこの問題について僕なりに考えていることを述べることにより、回答へと導きたいと考えています。それは未来予言に関するもっと根本的な問題なのです。

 さて、もう一度、街の占い師にご登場してもらいましょう。そしてNo50で紹介した我が家の3っつのエピソードを思い起こして下さい。この3人の霊能者は相談者の未来を言い当てています。
 僕の考えでは、街の占い師が相談者の属性である縁を透視すると、まずその縁ある人々が芋蔓式に心に浮かびます。次いで、その中の一人と相談者の未来図を重ね合わせ、未来に訪れる結婚相手だと判断しているのではないか考えています。結婚相手の予言がよく当たるのもこれが原因なのでしょう。
 また、未来予言をする方の多くはそれが起こる時期を特定出来ないことが多いのですが、これは霊なり霊能者なりが相談者の心を覗き込んだ時、彼らがが見ているのは、相談者の属性である未来、ぼやりとした未来のイメージであって、それが何時起こるのかを判断する材料がそのイメージから読みとれないことが原因だそうです。
 これらのことから判断して、霊或いは霊能者が未来予言をする場合、彼らは人間を介したイメージを見て未来に起こる出来事を判断していることになります。両者の意識は集合的無意識領域で活動しているのですから、先の「我々」の言葉を言い換えるなら『彼自身(ケイシー)の潜在意識が他のあらゆる潜在意識と直接交わ』ることが出来、そして『この方法で何千何万という他人の潜在意識の有する未来のイメージの全てを収集する』のだと思うのです。
 しかしながら、僕は先ほど、確定した未来のみが本当の未来だと述べました。もしこれが正しいなら、過去・現在の選択によって未来が確定するのであれば、僕たちは日々良き判断或いは悪しき判断を繰り返していますから、未来はくるくると変わります。従って、霊或いは霊能者はその人間を介して未来を予測するのですから、ごく限られた確定した近未来しか見えないということになるわけです。
 さらに、自然災害のメカニズムは過去から現在にかけての純然たる因果律によって支配されているのであって、人間の因果律とは無縁に存在します。人間世界の因果律は、あくまでも人間関係、社会の有り様、自然環境等に影響を与えますが、自然災害に影響を与える確率はごく僅かでしかありません。  そして、集合的無意識領域にはその自然災害を引き起こすメカニズムを理解している方は少数とは言え存在しますが、それが何時何処で起きるかまで分かっている人は皆無だということです。
 つまり、自然災害は神のみぞ知る未来なのであって、霊或いは霊能者が、人間の意識の深淵を覗いたとしても、未来に起こる自然災害の情報を得ることは不可能だということです。如何でしょうか? 僕の推論は間違っているでしょうか? 

 僕は、霊界を神と結びつけては考えていません。しいていうなら、霊界も、エドガー・ケイシーの言うように「宇宙諸力の創造エネルギー」に支配されており、それに基づくヒエラルキーを構成していると考えています。つまり、霊には神に近い存在もあれば、遠い存在もあるということです。そして、もし、人類が謝った選択をして滅びるようなことになれば、彼らも同時に滅びることになります。
 その後は? 僕たちは、地球を遠く離れた別の惑星に生まれ落ちるのかもしれません。

 こんなふうに考えてみてはいかがでしょうか? まず、神として僕たちを優しく包み込む空、そして僕たちの意識、この二つだけが真の実在であり、両者は常に向き合っているのだと。そして、集合的無意識とその中に存在する霊界は、この二つの実在を向き合わせるための補助的な世界にすぎないのだと。
 集合的無意識とその中に存在する霊界は、輪廻転生のための魂の揺りかごであったり、芸術家や技術者にインスピレーションを与えたり、過去の知識をプールして人々を導く役割を持っています。従って、人々を惑わし、不安を煽る終末預言を語る霊は、その本来の役割から逸脱しているとしか思えません。ですから、彼らの語る終末予言など信じてはいけません。今を生きることに全力を尽くすべきですだと思うのですが、いかがでしょうか?

 

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