不思議なお話No52 血筋について 

 今年5月、僕は63才にしてようやく心身ともにお爺ちゃんになりました。と言うのは、もともと年齢からすれば体はお爺ちゃんになってはいたのですが、孫が生まれて初めて本当の意味でのお爺ちゃんになったという訳です。
 孫は可愛いとは聞いてはいましたが、これほどとは思いもしませんでした。僕は元来子供好きで、特に生まれたての赤ちゃんを見ると、居ても立ってもいられなくなり、見ず知らずの母親に話しかけて、隙があればあのぷくぷくしたほっぺたに触ろうするくらいですから、可愛さもその延長だとばかり思っていました。
 しかし、今、僕の心に根ざした愛情或いは愛着みたいなものは、この種の感情とは少し違うと感じています。それは、僕という存在の根底にある何か特殊な情動によって心が突き動かされていると感じているのです。その何かとは、言うまでもなく血筋であり、種の保存法則(現在否定されているようですが、時代遅れの僕は未だ支持しております)に則っているとしか思えないのです。
 以前僕は、「不思議なお話No33 前世の落とし前のつけ方」において、霊界のメッセンジャー、江原啓之さんの「人は生まれ落ちる前に、自ら親を選んでいる」という主張をパクッて持論に組み入れたと述べました。また、「不思議なお話No46 神のイジワル 血筋について」においては、血筋に執着する愚かさと、その当人に対する神様のイジワルとしか思えない皮肉な運命について書きました。
 この二つのエッセイで言いたかったことは、親と子、そして孫といった血筋の関係は、実は血筋とは何ら関係のない、それぞれにとってその成長に必要な環境を作り出すためだけに集合させられた、縁に因む関係でしかないということです。もっと極論を言ってしまえば、輪廻転生における個の成長を第一に考えるなら、新たな出会(縁のない出会い)も十分に考えられます。
 もし、僕のこの考え方が正しいとするなら、一つの疑問が生じます。どんな疑問かといいますと、「では、血筋とは何か? 」ということです。前置きが長くなりましたが、これが本日のテーマです。
 何処に導かれるのか、僕にも漠然としか分かっていないのですが、どうかおつき合いください。

 まず始めに、輪廻転生について僕が考えていることをお話します。(以下に述べることは僕の直感にのみ由来するもので、何ら根拠はありませんので一つのファンタジーとしてお読み下さい。)

 僕は、この地球という小さな世界において、輪廻転生という宇宙原理を獲得したのは人類だけだと考えています。下等な生物は、生まれ、子孫を残し、そして死を迎え、これで終わりとなります。
 また、知能の発達した哺乳類物の場合も、人類と同じように喜怒哀楽の感情を持ってはいますが、人間のようにその集合的無意識領域に霊界を持つには至っていないと考えています。ですから、下等動物と同じように死イコール終焉となります。
 では何故人類だけがは輪廻転生の原理を獲得したのでしょうか? これ対して、僕は実に単純な回答を用意しているのですが、これまでの僕の主張に馴染みのない方がこれをお読みになった場合、まったく理解出来ないと思います。そこで、僕の考える神の概念について、簡単に書いておきます。
 1)神とは、宇宙に存在する全てを(人も星も銀河さえも)包み込んでいる「空」であること。
 2)人はしばしば「空」に語りかけるが、それにより、人と「空=神」との相互作用が生じること。
 3)その相互作用は、その人の集中力の強さに応じて、その人にとってプラスとなる何らかの不思議な現象を引き起こすこと。
 4)人はばらばらに存在するのではなく、心の深奥(集合的無意識領域)で繋がっていること。そして、この集合的無意識領域に霊界が存在しており、この霊界は「空」の原理に基づくヒエラルキーを形成していること。
 5)万物は空の振動によって生じる。そして、相互作用とは人の想念と「空」の共鳴であること。
 以上を前提として「何故人類だけがは輪廻転生の原理を獲得したのか?」という疑問に対する僕の用意した回答をお読みください。

「知能の発達により明確な自我という意識を獲得した人類は、喜怒哀楽という本能に由来する感情をそのコントロール下に置くことにより、根本的な疑問を抱くに至りました。それは、何故生まれてきたのか? 生きる目的は? という疑問です。そして、その疑問を”空(神)”に問いかけたのです。この時、人間の意識と空の相互作用(神との対話)が生じました。彼らのこの切実な思いは時と共に消えることのない空の振動となって宙に漂うことになります。これが、人類が宇宙原理(輪廻転生)を獲得する第一歩なったと、僕は考えています。
 先魁となった数多の賢人達の振動は、同じ種の動物たちが形成する集合的無意識領域に(エッセイ インターネットの文化人類学的な意味 参照)自分たちの領域を確保します。そして悔いばかり残る自分の人生をやり直したいと考え、良く生きるという目的を持って再び地上に降りていったという訳です。」

 如何でしょうか? これまで、僕のエッセイを読んでこられた方には予想された結論だと思います。何度も繰り返してきた僕の主張、意識を集中させると不思議が起こる、という原理。それが働いた考えているのです。

 さて、それでは本題に入りたいと思います。「では、血筋とは何か?」という問題を考えてみることにしましょう。

 ところで、皆さんは野生児という言葉をご存知でしょうか? オオカミ少年という言葉にに代表される動物から授乳を受け育った人間のことですが、さっそくウィキペディアから引用してみましょう。

「動物化した子ども。つまり、獣が人間の赤ん坊をさらったり、遺棄された子供を拾ったりして、そのまま動物によって育てられた場合。育てていた動物としては、狼・熊・豹・豚・羊・猿・ダチョウといった事例が報告されている。育て親の動物については地域によって特徴があり、東欧では熊、アフリカでは猿、インドでは狼の報告が多い[3]。代表例は狼に育てられたとされるアマラとカマラ。」

 これ以外に、「ある程度は成長した子供が森林などで遭難したり捨てられたりして、他の人間とほとんど接触することなく生存していた場合」や「幼少の頃に適切な養育を受けることなく、長期間にわたって幽閉されていたり放置されていた場合」もあるようですが、ここでは動物化した子供のみを取り上げます。

 ウィキペディアには、これらの野生児たちの生い立ちそのものを疑問視する研究者の主張も載せられていますが、彼らのあるがままの特徴や生態についても触れています。
 1.四つ足
 2.言葉を話さない
 3.毛で覆われている
 4.暑さや寒さを感じないなど感覚機能が低下している
 5.情緒が乏しく人間社会を避ける
 6.羞恥心が無く衣服を着用しようとしない
 7.相応の年齢になっても性的欲求が発現しにくいまたは発現しても適切な対象と結び付けられない
 8.生肉・臓物など調理されていない食品を好む

 どれ一つをとっても人間らしさの欠片もかんじさせません。ただ、毛で覆われているという特徴は個体差があるようですし、言葉に関しては、その殆どの場合、成長した後も理解することはなかったと言います。また、生肉を好むというのは、母親から授乳期間終了後、それを与えられていたということでしょうか?
 これらの特徴を並べたのは、人間として生まれたとしても養育される環境によっては人間になれない場合もあるということを理解してもらうためです。つまり、人は生まれ落ちて後、他の人間たちとの相互作用、コミュニケーションによって人間らしさを獲得するのであって、生まれたての子供の心は何色にも染まる真っさらという訳です。
 従って、皆さんが何年、何十年もかかって形成した心、或いは意識といったものは、親の形質、つまり遺伝とは何ら関係ない個別のコミュニケーション環境によって作られたのだということになります。そしてこれは、全く逆の場合においても同様に作用します。逆の場合とは、動物の人間化です。
 僕が想定している人間化した動物とは、家に飼われているペットとか、頻繁に飼育係とコミュニケーションをとることになった動物です。後者の場合、親の育児放棄とか、親からはぐれたりして保護され、幼少期人間によって育てられた動物に限ります。

 彼らの人間らしさの特徴は目に現れます。これは僕が感じているだけなのかもしれませんが、ペットとして飼われている犬と視線を合わせた時、野犬とは異なる瞳の優しさ柔らかさ、相手が何者なのか、自分を可愛がってくれる感性を持っているのか等々を見定めようとする好奇心、或いは視線をそらす一瞬にみせる恥じらいなど、人間としか思えない様々な色を浮かべます。
 以上のことは、叔母の家の飼い犬、今は亡きシロと接した時に感じたことです。シロは利口な犬で、言葉も良く理解しました。ある時、叔母が門扉を開けると、シロの子、ブチ(これはお馬鹿)が門扉から飛び出そうとしたのですが、叔母が「出ちゃダメ」と叫ぶと、シロは両手でブチの胴を挟んで止めたのです。
 犬に関して、もう一つエピソードを紹介します。僕は駅まで歩くのですが、毎朝途中ですれ違うセントバーナードが可愛くてしかたありません。彼(彼女?)は、すれ違う10数メートル手前で必ず飼い主のリードに逆らって道の草を食みます。そして、すれ違う一瞬、視線を上げて僕を盗み見て、目が合うと何食わぬ顔で視線を落とすのです。彼(彼女?)は、僕が気になってしょうがないようです。
 また、テレビのドキュメンタリーで見たゴリラと動物学者との手話による会話に衝撃をうけたことがあります。このゴリラは知能が発達していて、学者のたゆまぬ努力によって手話を会得したというのです。そのゴリラがゆっくりと指を折り両手を重ねたり離したりしながら語りはじめます。
「僕の・・母親は・・・人間に殺された・・・僕は悲しかった」と。孤独を愛する性向のこのゴリラ生い立ちに思わず納得したものです。
 
 以上のエピソードは我々の心、或いは意識というのは、ー犬も同様ですがー言語だけではなく五感六感を含めた他者とのコミュニケーションによって形成されるということなのですが、血筋の影響が全くないというわけではありません。例えば遺伝(血筋)による人の大枠の性格や肉体的形質というものがあります。そしてこれらは、コミュニケーションによる相互作用にどう反応するかという一つの性向を遺伝させることになります。
 実はこれにより、例えばペシミスティックな性格な人の場合、その度合いに応じて、悲しみ、苦しみ、絶望等々を生じさせ、人々に試練を与えることになるのです。

(だいぶ長くなりましたので、ちょっとコーヒーブレイク)

 さて、僕はこれまでエッセイの中で何度となく輪廻転生は魂の成長が目的であると述べてきました。その成長のために人は試練に晒され、それを克服することによって成長するよう促されているのです。つまり、成長のためには試練が必要不可欠となります。そして、コーヒーブレイクの前に、血筋である遺伝的性向は、その性向の程度に応じた試練を与えることになる、と述べました。
 この遺伝的性向についてもう少し詳しく見るなら、ペシミスティックな性格に限らず、穏やか怒りっぽい、気が小さい大きい、優しい気むずかしい等々ありますが、それぞれの性向によって試練の大きさや形が異なってきます。つまり、試練のバリエーションを創り出すことになります。これは遺伝による肉体的形質についても同じことが言えるでしょう。
 そして人それぞれの生きるテーマによってその試練の種類や程度も異なってきますので、もし、霊界のメッセンジャー・江原啓之さんが言うように、輪廻転生の前に子が親を選ぶとするなら、自分に与えられたテーマにあった試練、つまり親の遺伝的性向によって選ぶことになるということです。
 
 以前、僕は「不思議なお話NO28 幽霊につい」で、このように述べました。
「実際僕らはアメーバーから数十億年掛けて現在の意識を持つに至りました。(省略) 宇宙の星や銀河が生成と消滅を無限に繰り返すように、過酷な環境での生存競争を生き延び、僕たち生物も無限と思える時間の流れの中で生と死をくり返し、ようやくここまで辿(たど)り着いたのです。そして星空を見上げ宇宙を意識しました。(省略)実は、意識が存在しなければ宇宙も存在しないのです。」と。
 実を言うと、僕たちのこの宇宙意識ともいうべきものは、動物としての本能の領域の上に存在しています。これがそれぞれの試練において躓きの原因となるのですが、この動物としての本能を運ぶ器がこの肉体であり、この肉体と次世代を繋ぐものが血筋ということになります。つまり、自分のテーマにあった血筋を選ぶことにより、その人に相応しい試練が生まれるというだけのことです。
 いかがでしょうか? 血筋などというものは、宇宙意識からすればそれほど尊ぶものではないということがお分かりでしょうか? 
 皆さんは、最初に紹介した「「不思議なお話No46 神のイジワル 血筋について」の主人公・ローマ皇帝アウグストゥスと同じ轍を踏まないよう、ご注意ください。神様はイジワルですから。傲慢と同様に血筋を誇ることも嫌いなようです。

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