不思議なお話NO8 僕が時空を越えた瞬間

 最近、不思議に思っていることがあります。それは、僕たちが認識している時間って何だろうということです。何故こんなことを考えるようになったかと言いますと、僕は一瞬未来に飛んだことがあるからです。それは今から18年前のことですが、その時の情景、耳にした会話や相手の表情まで、その電車の中の出来事を未だに鮮明に思い出すことが出来ます。

 また、これも私が実際に体験したことなのですが、或る女性予言者の講演会を聞きに行き、その彼女が、ある場所で、女性ロッククライマーが滑落死すると予言したのです。そして一週間後、彼女の予言したその場所で、女性ロッククライマーが岩もろとも滑落死したという記事が朝日新聞の一面を飾りました。

 何故、一瞬とはいえ、僕は未来に足を踏み込んだのでしょう。何故、女性予言者は未来が見えるのでしょう。これは僕が長年考え続けてきたテーマなのですが、今、僕がここで言えることは、「僕の不思議なお話No5」で述べたとおり「不思議な現象の謎を解く鍵は極度の集中力もしくは妄執」そして「妄執はその対象となる妄想に囚われることにより狂気じみた集中力を発揮する」ということだけです。

 さて、僕の身に起こった不思議な出来事を紹介しましょう。僕の場合は、極度の集中力ではなく、妄執によって引き起こされました。その妄執の原因を作ったのが、先に紹介した女性予言者なのです。

 この女性予言者(仮に高村女史としておきます)は背筋の凍るような予言を発表していました。日本列島を巨大地震が襲い、列島はファッサマグナに沿って真っ二つに割れてしまうというものです。
 僕は当時、齢45才で、最初の小説、1000ページにも及ぶ奇妙な物語を執筆中でした。小説の中に、主人公が思索するという形で、エッセイを挿入したのです。聖書、シュメール神話、古代、予言に関する本を読みあさり、当時はびこっていた終末思想に鉄槌を下そうと小難しいことを書き殴っていました。(これを読まされた友人達は災難だったと思います)

 そんな時、週刊誌で高村女史と或る評論家(誰だったかは覚えていません)の対談記事を読み、彼女に興味を抱きました。その記事に掲載されていた彼女の本も購入しています。彼女は母子家庭の働く主婦で、彼女の不思議な能力が周囲の人々の話題に上り、彼女を頼って相談に来る人々が増え、次第にその地域の有名人になっていたのです。

 僕が参加した講演会でも、その時間の半分は悩める人々の相談に当てられました。相談者は手を挙げて、高村女史が指さしますが、相談者は立ち上がるだけで何も喋りません。
 高村女史は目を閉じ神経を集中させます。そして、「うん」と言って頷き、相談者にに対して、その人間関係から悩み事の核心に至るまで具体的にアドバイスし始めるのです。僕はあっけにとられると同時に、僕の心も読まれると思うと居ても立ってもってもいられませんでした。
 何故なら、僕は、高村女史の巨大地震の予言が、何時起こるのか、ただそれだけを聞きたくて参加したのです。高村女史の本に書いてある巨大地震に至る予兆の数々が実際に起こっていました。本の中に描かれた富士山の断面図、幾本も横線と一本の放物線が入った断面図と同じものが朝日新聞に掲載された時、高村女史の予言は成就すると確信したのす。

 その講演会で、結局、高村女史は、巨大地震の予言について多くは語りませんでした。彼女が触れたのは二点だけで、一つは「その時、あなた方がどのような行動をとるかを神様は見ている」という、当時の僕にとってはどうでも良い話と、二つ目はその前に起こる予兆についてです。

 その予兆とは巨大地震の前に富士山に異変があること、そして、その直前に、工事現場で釣り上げられたガラスのロープが外れ、落下したガラスが下にいた工事関係者の首を切り落とすと言う悲惨な事故が起こることで、高松女史はこの二つの情報を残して講演会場を去って行きました。
 後にして思えば、二つ目の予兆は、高松女史が僕の必死の思いを見透かしていたことを示していました。そして、一つのメッセージを僕に残したとしか思えない事態が待っていたのです。

 それからと言うもの、この二つのことだけが僕の頭を占めることになりました。新聞を隅から隅まで読み工事現場の事故の記事を探し求め、普段見ることもないテレビ欄で富士山に関する情報番組がないかチェックし、休みの日には図書館で全新聞と雑誌に目を通すという生活が始まったのです。
 でも、運命って意地悪ですよ。不思議なもので、恐怖の半年間の間、つまり巨大地震が起こると確信してから、それが不発に終わる半年間に、出張が2度ほどありましたが、どういうわけかフォッサマグナの線上とその近辺だったのです。
 今でこそ、笑っていられますが、当時は生きた心地がしませんでした。出張時に、巨大地震が起こったら間違いなく、高村女子が言う人口が激減する時の、不幸な人々に数えられることになるのですから。

 さて、いよいよその時が近付いてきました。その時と言うのは、巨大地震ではなく僕が時空を越える瞬間ですが、実はその前から奇妙な出来事が起こっていました。
 それは毎朝見る新聞の4コマ漫画なのですが、この漫画を作日読んだいう記憶が厳然とあることです。これは4コマの図柄を見ただけで、そこに書いてあるセリフまで分かってしまいますから、確実に昨日読んでいることになります。おかしい、どうなっているんだ、と怪訝に思っていたのです。

 そんなことが続いたある日のこと、仕事の帰りの電車の中で、隣に立つ二人連れのサラリーマン一人が手にした写真雑誌を指さして話し込んでいました。そして「富士山噴火の予兆だってよ。これ本当かね?」「マスコミは雑誌が売ればいいんだ。いちいち心配しててもきりがない」という台詞を耳にしたのです。
 僕は、隣で話している二人のサラリーマンに顔を向け、一人が手にした写真雑誌に見入りました。富士山山麓の洞窟や樹海の写真が掲載され、恐怖を煽るような見出しと長文の解説が目に飛び込んできました。
 僕は我を忘れてサラリーマンの男から雑誌をひったくりました。「おい、おい、何をするんだ?」と凄むサラリーマン。「ちょっと貸してください、メモを取るだけですから」と必死な僕。
 手帳に雑誌の名前、特集記事のテーマを急いで書き込むと、すぐに雑誌を返して、何食わぬ顔で横を向きます。サラリーマンは舌打ちしたものの、僕の完全無視の姿勢にたじろいだようで、喧嘩にはなりませんでした。僕のこの異常とも思える行動は、当時の僕の頭に狂気が巣くっていたことを物語っています。

 翌日、会社帰りに上野の書店に直行しました。ありとあらゆる雑誌を置いある店ですから目的の雑誌はすぐに見つかると思っていました。しかし、その日、とうとう見つけることが出来なかったのです。
 その翌日には、新宿の紀伊国屋まで出向きましたが、結果は同じでした。そんな馬鹿なと思い、翌日も、その翌日も書店を巡りましたが、その雑誌を手に取ることはなかったのです。
 そして思いあまって、その発行元である出版社に電話しました。返ってきた答えは、そのような出版物は現時点で発行していないと言うものです。僕は、電車の中でその出版物を見たのだと言い張りましたが、申し訳ございませんという馬鹿丁寧な返事を繰り返すばかりで、僕は電話を切るしかなかありませんでした。

 僕がその出版物を手にしたのは、それから半年後のことです。手帳に書いてあった雑誌の名前、特集記事のテーマ、そしてあの時目にした写真もありました。でも、その頃には、僕の恐怖の半年間は既に終っていて、雑誌を買う気にもなりませんでした。
 サラリーマンがその出版社の人で、たまたま刷り上がりのサンプルを持っていたのでは? という疑問に対しての反論は、彼らの会話は明らかに一般読者のそれだったのですから、出版社の社員ということはあり得ないと言うしかありません。
 お分かり頂けたでしょうか?僕はその時、明らかに時空を越えて未来を訪れていたのです。そして、僕が探し求めていた情報が満載された雑誌を一瞬だけ手に取っていたことになります。

 「求めよ、さらば与えられん」という言葉は真実だと思います。ただ、それが妄執であれば与えられるのはカスでしかありませんが、学究の徒が極度の集中力を傾けたときに与えられるのは、新発見という神様からの賜です。「天才とは極度の集中力を持つ人々である」これは僕の言葉です。覚えて置いてください。

 さて、そろそろこの話も終盤を迎えましたので、思い出したくもない高松女史のもう一つの予兆のお話をします。彼女が言っていた、工事現場でガラス板が落ちて人の首を切るという話です。
 実はこれも成就しました。しかし、それは新聞記事には載らない一地方の、しかも僕の近所の出来事でした。出勤途中のバスの中、僕は二人の主婦の会話の中でその言葉を確かに聞いたのです。
  「奥さん知っている?ここのコミュニティセンターの改築工事の事故のこと。落ちてきたガラス板で職人さんの首がちょん切れちゃったんですって。いやーな話だと思わない?」
  僕は瞑目し、その職人さんのご冥福を祈りました。まるで僕が殺したような思いに駆られました。高松女史の僕へのメッセージとは何であったのか、現在も思案中です。

  時空を越えたって、こんな話? とがっかりしている皆様、派手さを求めてはいけません。人生ってけっこう地味なものなのです。ところで、最初のテーマ、「時間って何だろう?」に戻りますが、僕は最近、過去、現在、未来は同時に存在しているのではないか、また時間は、個々人の独立した属性(つまり全ての人に共通ではない)ではないかという考えに傾いています。
 何故こう思うようになったかは言うまでもありません。僕のこの二つの経験は、現在は未来を含んでいることの証だからです。でなければ、今と未来を同時に経験することなどあり得ないし、予言者が個人の未来を覗き見ることも不可能だからです。 そして、現在の行動によって未来が書き換えられてゆく。どうお思いですか?この仮説。これも妄執でしょうか?


※掲載中の「予言なんてクソクラエ(探偵小説)」はこの話をテーマにして書いた小説で、予言のメカニズムにも触れています。この小説とエッセイ「インターネットの文化人類学的意味」を読めば、予言については半分程度納得いただけるのではないかと思います。(時間についての仮説が固まり次第、書き直すつもりですが・・・)是非お読み下さい。

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