普通のお話No11  真剣と竹刀とトラウマと  

        

たまたま、8年前、剣道を始めたばかりの頃の文章を見つけました。エッセイの懸賞コンテストの応募作品だと思います。あの頃、こんなことを考えていたんだ、とちょっと懐かしくなると共に、今の現実とのギャップが気になりました。またしても意地っ張りな僕の性格を垣間見る気がしたのです。今日は、僕の剣道に対する特殊な思いをお話したいと思います。
 以下は懸賞コンテストのテーマと本文です。
テーマ:15年後のあなたは何をしていると思いますか?それは理想の姿の何%ですか?

 私は55才の時に剣道を始めて現在二段です。剣道を始めた動機は楽しめるスポーツをやりたいの一言に尽きました。実は、それまでの6年間、スポーツジムに通い筋トレを続けてきましたが、これは一種の苦行ですので何の楽しみもありません。ジムの駐車場の車の中、今日は休もうかなー、などと30分も悩むことがあり、新たな楽しいスポーツを探していたのです。
 そこで様々なスポーツを考えましたが、やはり剣道に心惹かれました。何故かと言いますと、私は子供時代チャンバラが大きで、誰もが野球に走る中、私一人チャンバラから離れられなかったのです。ですから、仲間が一人減り二人減りし、最後は私一人になってしまいました。
 あの頃の悔しさを今こそ晴らそうと、私はさっそく街の剣道場を覗いてみたのです。ですが、そこで見た光景は私をひどく落ち込ませました。大人が小学生や中学生と一緒になって練習していたのです。どうもこれははいただけない。そう思ったのです。
 私は小さな子供は好きなのですが、小学生・中学生くらいになると小生意気な気がして、どちらかというと苦手な年代だったのです。というより、彼らと接する機会が殆どなかったことから、ただただ取っつきにくいと思っていただけなのかもしれません。
 ですが、今は、この考えががらりと変わってしまいました。最初はしぶしぶと小中学生に混じり練習をしていたのですが、徐々に私の心に全く別の感情が芽生え始めました。それは子供たちに対する愛おしさです。小生意気だとばかり思っていた小中学生が独特の可愛らしさを放っていることに気付いたのです。
 中学生は、大人になりかけてはいるものの、まだまだ子供の部分が残っていて、そのちぐはぐさが微妙な可愛らしさを醸しだしています。中には未だ成長期を迎えていない、子供のままの体型の子もおり、ぶかぶかの防具を身につけて頑張るその姿は、それはそれで可愛いものです。
 生意気ざかりの小学生高学年も、どこかに恥じらいを隠しながら大人との接触に少なからぬ興味を抱き、知らんぷりをしてちらちらと大人達を観察しています。彼らの批判精神は大人と変わりません。子供を嘗めてはいけないのです。
 小学生低学年はやはり母親への思慕から抜け出せてはいません。面金から覗くその目は絶えず母親を捜しています。良い面が決まった、胴を取った、といった時には、きらきらと目を輝かせて母親に顔ごと向けて、見ていたかどうかを確認しています。それぞれの世代がそれぞれの段階を経て大人に成長してゆく姿が愛おしく映るのです。
 時が経つにつれて、つくづく可愛いと思うようになり、今では彼らの成長を見ることが私の喜びに変わりつつあります。ですから、彼らに稽古をつけてやっているとき、私は心が満たされいます。子供の面は思いのほか痛いのですが、それも気にならなくなりました。本当に楽しくお相手をさせてもらっています。
 15年後、私は72歳になっており、順調に昇段してゆけば5段になっているはずです。6段から先生と呼ばれ道場の上座に座りますから、私は子供達から「安藤先生」と呼ばれ、彼らに稽古をつけたり、号令をかけていることでしょう。これは理想の姿の100%です。

 読み終えて、僕は思わずうーんと唸ってしまいました。今の現実とはかけ離れているからです。子供たちに対する気持ちには変わりはありませんが、今は子供に指導する立場にはありません。僕は現在3段なのですが、数年前から子供の指導が出来るのは4段以上になったのです。
 それでは4段を取れば、ということですが、僕にはその気が全くないのです。何度か受験を勧められているのですが、お金がないと言ってお断りしています。その言葉を文字通りに受け止めているのか、冗談だと思っているのかわかりませんが…。
 実を言いますと僕には昇段試験に対するトラウマがあるのです。そのトラウマがあって、僕は高校時代柔道部に所属しつつ白帯で通そうと決意したののです。今から思うとまったく馬鹿げた反抗だったと思い、剣道では3段までそのトラウマなど忘れて、嬉々として昇段試験に挑戦していたのですが…。
 さて、そのトラウマについてお話ししましょう。あれは高校一年の最初の昇段試験の時の出来事です。高校で柔道を始めたのですから、僕が受けたのは恐らく1〜3級の試験だったと思います。対戦は3回ほどで、その3回目の試合相手が同じ高校の柔道部の同輩だったのです。
 彼は中学から柔道をやっていて初段に挑戦していました。そしてもし僕に負けると間違いなく昇段できないというせっぱ詰まった状況でした。彼は試合が始まり互いに組むなり、僕の耳元で囁き始めたのです。「頼む、負けてくれ。ここで負けたら昇段できないんだ。頼む」と。
 度重なる囁きに根負けして、僕は負けてやりました。自ら倒れ込んで押さえ込み一本を進呈したのです。これ以降、僕は昇段試験を受けていません。今となってみれば彼の必死さがよく分かるし、そうした必死さがあって彼は今の社会的地位を築いたいたのかもしれないと思うのですが、その頃の僕にはどうしてもそれを納得することが出来ませんでした。
 剣道で同じようなことがあったとわけではありませんが、先生方に昇段を前提に指導されるたびにあのトラウマが顔を覗かせることも事実です。昇段しなければ道場での上下関係は年齢とは関係なくいつまで経っても下のままですし、並ぶ位置、着替える場所、全てがこの上下関係に沿って決められています。ですから誰もが昇段したいと思わざるを得ない状況なのです。これが意地っ張りな僕の反発を誘発するのですが、実はそれだけではないのです。
 僕の剣道は昇段試験には向かない剣道なのです。基本稽古ではそれなりに綺麗な打ち込みをするのですが、いざ試合稽古になると全くその綺麗な打ち込みなど忘れ去って、泥臭いものになってしまいます。何故そうなるのか? 実は僕の剣道はチャンバラなのです。しかも、真剣を使ったチャンバラです。たとえば相手が小手を打ってきました。その小手を擦りあげて(竹刀で下から弾いて)避けるのですが、擦りあげが十分でなく残念ながら相手の竹刀は僕の右手の小指と薬指に触れたとします。
この場合、僕は右手の指二本を失い出血して動作は鈍くなるはずですから、僕の負けと感じてしまいます。
 今度は僕が相手の面に撃ち込みます。相手は首をひょいと傾げて僕の打ち込みをはずします。ですが、僕の打ち込みは相手の肩を鎖骨諸共ぐさりと切り割いているはずですから、これは僕の勝ちと感じてしまいます。
 いかがでしょうか? 僕の剣道がお分かり頂けたでしょうか? この感覚は防具をつけて試合稽古を始めて以来僕につきまとっています。恐らく、子供の頃のチャンバラにその根っこがあるような気がします。

 さて、皆さんはこんな事実をご存じでしょうか。桜田門外の変後の現場には、夥しい数の切断された小指と薬指、そして耳が残されていたという事実を。その当時、多くの侍は腰の刀など単なる飾りだとばかり思っていました。ところが、侍たちはいきなりそれが殺傷能力のある武器だと気付いて刀を抜き放ったわけです。恐らく震える手を思い切り前に突き出したはずです。相手と出来るだけ距離を取りたいと思うのは本能ですから。すると小手ががら空きになるわけです。
 攻める方も、へっぴり腰で腕を伸ばして小手を打ちに出ますので、鋭利な剣先がちょうど相手の右手に届くのです。一方、受ける方は咄嗟に擦りあげますが、竹刀と同じように、上に弾くのではなく右手の甲をやや上に向けるだけですから、薬指付近に相手の剣先がグサリと入るという結果になります。
 次に、度胸の据わった人は、いきなり面をうちに行きます。剣道では面は打たれなければ一本になりませんから、首をひょいと傾げるだけで避けられます。ですが、今回は真剣です。相手の打ち込みは右頬をかすめ、頬肉もろともに耳を削ぎ落とすことになります。攻守とも同じ所作を繰り返した結果が、耳の残骸となって残ったということです。
 僕は同じ轍を踏むつもりはありません。おや、耳(この場合、目?)を疑っている皆さん、冗談ですよ、冗談。同じ轍など、この現在にあろうはずがありません。そんなことは分かっておりますので、ご安心を(笑い)。
  ただ、僕は剣道を始める前、居合か剣道かで迷った時期があり、最終的に剣道に決めたという経緯がありますし、今でもユーチューブで居合の動画を探しては見ています。ですので、もう少し剣道と居合が近づいても良いのではないかと思っていることも確かです。
 面が決まると気持ちの良いものです。ですが、もしそれが竹刀ではなく真剣だったらと考えたとき、面が決まるのは余程力の差のある場合だとしか思えないのです。相手が面を打ちにきました。剣道の初心者の貴方は後れを取っています。どうします? 命を失うかもしれないのですよ。
 本能に従えば、貴方は晴眼に構えていた真剣をそのまま伸ばしてゆき、隙だらけの喉元、顔、或いは胸めがけて突き出すはずです。この場合、相手は面を振り下ろす前に絶命しているでしょう。しかし、剣道ではこの突き技がある意味で禁じ手なのです。段の上の者にしてはならない技ということになっています。突き技は真剣の場合、もっと頻繁に使われた技だと思います。
 さらに剣道では袈裟切りがありません。右上から斜めに振り下ろす太刀筋です。この袈裟切りが日本刀の基本動作だと思うのです。それは居合の動画を見てみれば分かります。その日本刀の基本動作が剣道にはないのです
 こうした諸々の納得できない面が剣道にはあります。とはいえ、とやかく言ってても始まりませんから、僕は先生たちの指導に従おうと努力を惜しみません。ですが、やはり試合稽古になると我を忘れるという自分をどうすることも出来ず、今では、僕は僕なりに剣道を楽しめればそれで良いと思い始めているのです。

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