普通のお話No13  キリスト教の人々 4  

        

これまで「キリスト教の人々」では、聖ペトロの人間くささを取り上げてきました。一つは、かっとしやすい性格であったこと。イエスを捕らえようと集まってきた人々の一人に剣で斬りつけたエピソードがそれです。預言は成就されなければならない(捕らえられ死刑になること)と言ってきたイエスを困惑させたことでしょう。
 次いで、責任感の強い反面人情にもろい人でした。捕らえられたイエスの後を追って、裁判の成り行きを確認しようとしています。また、イエスの仲間と見咎められ3度イエスを知らないと言ったことを恥じ、その場から逃げ出し人知れず号泣しました。恐らくこのエピソードは、ペトロが仲間達に涙ながらに告白したものだと思います。きっと正直な人だったのでしょう。
 さて、今回取り上げるのは、僕がどうしても納得のいかないエピソードとして記憶していたもので、それはペトロの傲慢さの現れではないかと考えたのです。僕は「不思議なお話NO17 僕が不思議な体験をする理由」の中で次のように書きました。
「僕は人一倍傲慢なところがあり、不可思議な力を得ていたら、その傲慢さに歯止めがきかなくなった可能性が高いのです。これは由々しき事態です。傲慢さはそれ自体が罪なのですから、本当に危ないところでした。」と。
 これは、もし僕が特殊な能力を得ていれば、その能力に有頂天になってしまい、傲慢さにさらに拍車がかかってしまったということです。ということは、今の僕ではありえないことになります。今の僕は以前より傲慢さが薄れて来ています。完全に消えるまでまだ時間は掛かると思いますが…。
 ところが、僕が自分自身に危惧した事態が、ペトロには起こりました。ペトロはイエスと同じように、数々の奇跡を起こす不思議な力を得てしまったのです。普通の人が不思議な力を得たとき、どのように変わってしまうのか、それは体験しなければ誰も分かりません。

 それでは、そのエピソードを紹介します(使徒行伝から引用します)。

 復活したイエスは「40日にわたって彼ら(12使徒)に現れ、神の国について話された」 そして天に上げられる前、彼らにこう命じた。
「エルサレムを離れず前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネ(洗礼者ヨハネ)は水で洗礼を授けたが、あなた方は間もなく生霊による洗礼を授けられるからである」

 次に、生霊による洗礼がどのように起き、そして彼ら、12使徒がどのように変わったかを紹介します。
 
 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると激しい風が吹いてくるうぴな音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉を話しだした。」
 この騒ぎに驚いて、人々が集まって来ます。ところで、ユダヤ人達は地中海世界のあらゆる国に散っていて、そこで生まれ育ちますが、聖地エルサレムに戻り居住している人々や、祭礼の折りには帰国している人々も多いのです。12使徒が話し始めた言葉はそのあらゆる生地の母国語に聞こえました。
それはまさに奇跡としか言いようがありません。彼らが知る12使徒は、ごく普通の地場の人々だったのですから。
 ヨハネの福音書には、これに関するイエスの預言を見ることができます。
「わたしの言うのを信じなさい。もしそれを信じないのなら、業(奇跡を起こすこと)そのものによてを信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業(わざ)を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」
 彼らはイエスと同じように業(わざ)、つまり奇跡を起こすことが出来るようになりました。ペトロもイエスと同じように足が萎えた人を癒し立ち上がらせ、或いは死人をも生き返らせています。従って、生きた人を死人にすることも容易いことだったのです。奇跡を起こせるようになったペトロはどう変わったのでしょうか…。

 「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」
 「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知の上で、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。』」と言って非難します。
 最後にアナニアに向かって「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」と言うと、「アナニアは倒れて息絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。」
 以下少し長いですが全文を引用します。「それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入ってきた。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は、『はい、その値段です』と言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息絶えた。青年たちは入ってきて、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」

 絶大な権力、或いは権威、そうしたものを得たとき、誰しもそれまでの自分と同じではあり得ません。ペトロのこの行為は、しばしばそうした人々が見せる傲慢さに似ていると思えるのです。宗教をやっている人にしばしば見られる傲慢さは、その宗教の権威を自らの権威と勘違いすることから起こるのですが、それに近いと思います。
 ただ、このペトロのエピソードに関して、それを傲慢さととるか、純粋さととるかは意見の別れるところだと思います。
 と言うのは、二千年前の死生観は現代とは違いますし、イエスの死と復活を実際に相まみえ、復活後の師と語らった直後のことですから、いわば興奮状態にあったわけで、新たな信者にも自分たちと同じ純粋さを求めたと解釈することも出来るのです。
 でも、もっと別な対処の仕方もあったはずです。まず二人を諭し、悔い改めさせるべきだし、それでも嘘をつき通すようでしたらコミュニティから放逐しても良かったのです。何も殺すことはありません。僕は今でもペトロの行為が納得出来ません。

 いかがでしょうか、実にリアルな人間模様だとお思いになりませんか? 生真面目で情にもろく気の弱いペトロが、権力を握った途端、傲慢になり、教会全体とこれを聞いた人は皆、ペトロを恐れたと言うのですから。 

HPランキングにご協力をお願いいたします

    精神世界
inserted by FC2 system