普通のお話No4  友情・孤独   

         
   大学のキャンパスの芝生の上で車座になった男女が話し合っていた。リーダーらしき男の発言が僕の耳に届いた。彼はこう言った。『僕達の友情をこのまま終わらせていいのか、えっ、どうなんだ。』
 当時の僕はこれを聞いてせせら笑ったものだが、今にして思えばもしかしたら彼らの友情は今も続いているのかもしれないと思えるのである。
 社会に出てつくづく思ったのだが、人はその心の余裕の範囲内でしか寛容ではなく、ましてや生き残りレースのまっただ中では、その範囲を越えればすぐに本性を剥き出しにして追い落としにかかる。実社会は弱苦強食の世界であり人は常にストレスを抱えて生きている。
 これに対し、学生時代の仲間は、そのリーダシップで野心を抱いたり、男女関係のしがらみさえなければ、こうした本性剥き出しでぶつかり合うこともない。気のあった仲間が集い、心地よい関係を保つことは可能なのだ。
 まして年を重ねれば、共通のノスタルジーと淡い恋心も手伝って、会合などにも勇んで出掛けるのかもしれない。僕は四十数年前のあのグループが今も時々会っていることを想像し、あの時せせら笑った当時の自分の寂しさに、思わず苦笑いを漏らした。

 僕の大学との拘わりは、掲示板のみである。授業には殆ど出ていない。当然、教授と呼ばれる人種との付き合いもない。掲示板に貼り出される試験日、宿題、レポート提出日、これをチェックして終わりである。後は、アルバイトと宛のない旅行だけの毎日だった。いったい僕は何を求めていたのだろう。
 一人でリックと寝袋を背負い、田舎道をてくてくと歩いていた。孤独な旅はお金が尽きて終わりになる。腹が減って動けなくなると鈍行に乗って故郷を目指す。その求めていたものは、孤独を癒してくれる友と言うわけではない。
 僕はもともとそんなものにさほど期待などしていなかったし、人生を旅にたとえるなら孤独に旅を続けることの方が、自分には合っているとさえ思っていた。でも、何かしら求めていたからこそあてどなく歩いていたのでは? と改めて自らに問うても、やはりその答えは見つからない。

 ただ言えることは、僕は人付き合いが得意でないということ。孤独を愛するわけではなく、気が付けば孤独に陥っているといった方が良いのかもしれない。その理由は自分でも分かっている。それは人の発する言葉の問題なのである。
 実は、僕は言葉に強いこだわりを持っていた。「持っていた」と過去形にしたのは、つい最近それに気付き、聞き流す術を覚えたからである。人は実に軽はずみに思いつきで喋っている。過去に自分が言ったことなど全く記憶しておらず、その時々の思をただただ口から放出しているに過ぎない。このことにもっと早く気付くべきだった。
 僕は、記憶力はさほど良い方ではないが、どういうわけか人が喋った言葉をそのまま原形通り覚えている。従って、友人が今喋っていることが過去の発言と照らし合わせて矛盾していると感じて反発してしまうのである。それが僕の琴線に触れる場合にはその友人が許せなくなる。こうして僕は孤独に陥らざるを得なかったのかもしれない。

 僕は今、一種のノスタルジーを共有する昔の仲間も大切な友人だと思うようになった。そのノスタルジーが多ければ多いほど豊かになれるのかもしれない。互いに尊重しあい、その胸の内に土足で踏み込まず、利害を介在させなければ、交友はいつまでだって続くのである。
 残念ながら、僕は過去に幾つものノスタルジーを自ら捨ててきた。それは僕の言葉に対するこだわりが原因だったことは明らかである。もう少し言葉というものの軽さにも気付くべきだったと今では後悔している。
 さて、あのキャンパスで見かけたあのグループは今どうしているのだろう? しかし、かしこまって「僕たちの友情」なんて言われてもちょっと気色悪いし、あのリーダーとは、やはりお友達にはならなかったと思う。

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