普通のお話No8  新約聖書の人々 その1   

        

始めに


 今日から、皆様には馴染みの少ない新約聖書に登場する人々の、幾つかのエピソードを拾い出し、それについて僕が最初にこれを読んだ時に感じたことをお話しようと思います。僕は旧約聖書から入りましたから、それまで新約聖書は読んだことはなく、ましてや先人達の解説書一つも目を通していませんでしたので、その第一印象は素朴そのものです。つまり、皆様も共感できるお話だと思ったわけです。
 ちょっと意地の悪い見方、或いは聖書に対する冒涜と目くじらを立てる方がおられるとは思いますが、そうした意図はまったくないことを最初にお断りしておきます。僕が彼らに感じたのは、選ばれてあることの矜持と苦悩が実に人間らしく、それがかえって聖書の記述にリアリティを与えているということです。


ぺトロのエピソードその1

 ペテロは言うまでもなく聖ペテロと知られるイエス第一の使徒のことです。ガリラヤ湖で漁をしていたときイエスに声を掛けられ、12使徒の最初の人となります。ペテロはギリシャ語で「岩」の意で、イエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」と予言しましたが、その予言が当たったのか、それとも信者たちがイエスの言葉通りにしたのかは知りませんが、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山、サンピエトロ大聖堂の地下にはペトロが眠っているとされています。サン・ピエトロは言うまでもなく聖ペトロの意味です。
 さてこのぺトロですが、聖人と人々から敬われ割には聖書に描かれるその人となりが実に人間くさく、ちょっと僕に似たタイプだと言えるのです。ペトロの何処が僕に似ているかといいますと、かっとすると怖い者知らずになるところです。僕も、かつて3人の屈強な男達と対峙したことがありましたが、その時の僕の心境は「ええい、後は野となれ山となれ」といったものでした。その点は、間違いなくペトロは僕に似ていると思えるのです。
 では、そのエピソードを紹介いたします。

 イエスはユダヤ教の聖地・エルサレムに入り、多くの信者を前に説法を開始します。その説法の内容は旧約聖書知らないと何のことかさっぱり分からない部分もありますが、聖なる言葉にご興味のある方は是非聖書をお読み下さい。
 さて、当時ユダヤ教の聖職者たちにとって、イエスの成すことすべてが、その説法も行動もすべて過激に映ったようです。奇跡を起こし、あれよあれよという間に信者を獲得してゆきますし、神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出したりします。彼らは恐らく神殿の許可を受けた業者だったのでしょう。そんなことはかまわず、イエスは業者たちを糾弾します。
「こう書いてある(旧約聖書)。『私の家は、祈りの家でなければならない』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」と。
 祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったのですが、イエスを支持する民衆がいたため、どうすることもできなかったと書かれています。しかし、彼らは黙ってイエスを見過ごすわけにはいかなかったのです。
 彼らは謀議を重ね、さらにユダの協力を得てその機会を窺っていたのです。イエスを取り巻く信者たちが少なくなった頃合いを見計らって、手に手に棍棒や剣を携えた一群の人々を送り込みます。イエスを捕縛しようというわけです。
 その時、恐らくイエスを捕らえようとした大祭司の手下たちと小競り合いがあったものと思われますが、ペトロは「手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした」というのです。激情に駆られたペトロらしい行動です。
 この記述はマタイ・マルコの福音書は同じ記述ですが、ルカによる福音書は、ペトロが打ちかかる前に、イエスの周りにいた人々がイエスに「主よ、剣で斬りつけましょうか」と聞いたことになっていますが、イエスが逮捕されると「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」というマタイ・マルコ両福音書の記述から、それほど肝の座った弟子は一人もいなかったことは明白です。
 
 興味深いのは、このマタイ・マルコ・ルカの福音書ではこの激情型の男の名前を明かしていないことです。「イエスと一緒にいたうちの一人が」とか「居合わせた人々のうちある者が」というように名前を伏せています。何故これがペテロだと分かるかといいますと、ヨハネの福音書にその名が書かれているからなのです。
 イエスに愛されたというヨハネは最後まで命を全うします。彼以外の弟子たちはイエスから予言されていた通り殉教しますが、マタイ・マルコ・ルカが福音書を書いた当時、ペトロはまだ生きていて彼に遠慮してその名前を書かなかったとも取れますし、ヨハネは彼ら全員がこの世から去った後、全てを白日のもとに晒すことに何の躊躇もしなかったと言うことも出来るのです。

 いずれにせよ、あの場面で大祭司の手下に斬りつけるなど危険きわまりない行為です。多勢に無勢ですので、全員殺されかねない状況でした。しかし、イエスのペトロに対する厳しい叱責と、ルカの福音書の記述を信じるなら、イエスが傷ついたその手下の「耳に触れていやされた」ことによって窮地を逃れられたとしか言いようがありません。
 ペトロのとった行動はイエスを守るための英雄的行為とするのは無理があります。やはり、イザコザがあり、かっとしたペトロのとった軽はずみな行為であったと解釈するしかありません。どうです、僕に似ているとお思いになりませんか?

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