予言なんてクソクラエ

第九章 逃 亡

    (一)
 カタカタとせわしげにキーボードを叩く音が響く。目の前にはうずたかく資料が積まれ、その陰に隠れて磯田が何やら蠢いている様子だ。しばらくして、メール受信のメッセージが届いた。磯田からだ。そこには、こうある。
「おい、奴等の様子がおかしい。あのビル全体がどよめいている。何かが起こった。これは間違いない。これについて情報は?それと、あいつら信者の間に妙な噂が広がっている。この日本に近々大災害が起こると言う。これについて、何か聞いていないか?」
石井は立ち上がって磯田に話しかけた。
「磯田さん。もう、止めにしませんか。お互い、あの日のことは忘れましょうよ。ちょっとコヒーでも飲みにゆきませんか?今の質問に対する情報は盛りだくさんです。」
 磯田が山積みされた資料の山からぬっと顔をのぞかせた。その目に猜疑の色を浮かべている。龍二がにこっとして二人に割って入った。
「そうだ。何があったか知らんが、コーヒー一杯で片がつくのなら、時間など気にせず行ってこい。おい、磯田、すぐにでも行け。」
二人が連れ立って事務所を出ると、龍二と佐々木はほっと胸を撫で下ろし頷きあった。それほど石井と磯田の冷たい戦争は二人にとって心の負担となっていたのだ。
 近所の喫茶店に入りコーヒーを注文した。ウエイトレスが去ると、石井が聞いた。
「あのビルで何が起こっているのです?」
「よく分からんが、四日前、教祖の杉田が戻った。残念ながらあんたの初恋の人は一緒じゃない。」
石井がむっとして黙っていると、磯田が続けた。
「兎に角、普通ではない。あのビルから何人もの若い男が何処に行くのか飛び出して行った。そのうちの何人かをつけてみたが、あの様子だと、どうやら誰かを探しているらしい。誰を探しているのかは分からない。」
石井は凡その筋書が読めた。何も隠すつもりはない。真実を語ろうと思った。
「実は、あのビルに一人の少年が軟禁されていました。恐らくその少年があのビルから逃げだしたのでしょう。富良野で出会った少女が少年を救い出すと言ってましたから、多分それが成功したんだと思います。」
その経緯を、石井は正直に話した。磯田は石井の語る一言一言を脳の襞に刻み込むかのように聞き耳をたてていた。石井が語り終えると、
「それと、石井さん、予言の話はお聞きになりませんでした?」
と、妙に丁寧な口調で聞き、探るような目つきでじっと見詰める。深い溜息とともに石井は、三枝節子のことはふせたが、耳にした全ての予言、フィリピン航空やイラン大地震、そして日本を襲う未曾有の大災害についても語った。生唾を飲み込む音が何度か聞かれた。磯田はその日一日そわそわと過ごしていたが、翌日姿を消した。
 それでも、試験で休んでいた大学の空手部の後輩二人を駆り出すという手際をみせ、その一人の山口が「磯田さんは、しばらく放浪の旅に出るそうですよ。」といって翌朝事務所に現れた時、石井の顔に思わず苦笑いが浮かんだ。富良野に逃げたのだ。その日以来、磯田の携帯は留守電になった。

    (二)
 片桐の拳が若者の顎に炸裂し、若者の体がその場に崩れ落ちた。血の滲んだ唇を歪ませ片桐を恨めしげに見上げた。そこは白い壁に囲まれ、何台ものテレビモニターとコンピューター機器が並ぶ10坪ほどの事務所である。どすのきいた唸り声が響く。
「なんだ、その面は。俺に逆らおうっていうのか。えっ、おい、どうなんだ、重雄。」
重雄は視線を落とし、押し黙っている。その腰を片桐が蹴り上げた。重雄は這いつくばり壁側に逃れた。
「この新聞記事を見ろ。五反田で発見された女性の遺体は連続殺人魔の犠牲者ときた。死体は発見されるわ、小僧に逃げられるわ、いったいテメエ等は何をやっていたんだ。おい、四宮、樋口。」
直立不動で立ちすくむ二人の男達の脚は震えている。
「二人がついていながら何だこのていたらくは。」
四宮がごくりと唾を飲み込むと答えた。
「まさか死体が発見されるとは思ってもいませんでした。それほどきっちりと地均しをしておいたんです。本当です、樋口も俺もそれこそ真剣にやりました。」
「馬鹿野郎。それでも発見されたんだ。まだ十分じゃなかたってことだ。いいか、言い訳はたくさんだ。小僧のことだってそうだ。厳重に見張っていればこんなことにはならなかった。気が緩んでいた証拠だ。」
コツコツコツと靴音を響かせ、片桐は部屋を横断して壁際にある覗き窓の蓋を開けた。眼下には100畳敷きの道場で瞑想する信者が列をなしている。中には憑き物にでも憑かれたかのように全身を痙攣させている者もいる。
片桐はふんと鼻でせせら笑い、振り返って言った。
「今、何人動いている。」
「親衛隊員が全員ですから32名です。」
「よし、口の固い出家信者をもう30人ほど動員しろ。それから、女の写真はかまわんが、小僧の写真は見せるだけだ。頭に記憶させろ。いいか、分かったか。」
三人の男達がそそくさと部屋から出て行った。その時、電話のベルが響いた。
「はい、片桐です。」
「こっちに来てくれ。」
悟道会教祖、杉田啓次郎のお呼びである。
 重厚なドアを開けて部屋に入ると、正面には大統領執務室にあるような豪華な机、その前に牛革製のゆったりとしたソファーが置かれている。杉田は例の手紙を片手にかざし、葉巻の煙に顔をしかめソファに腰掛けていた。
 近付いてゆき、その横に立つと、目顔で前の席に座れと言う。片桐はゆっくりとソファーに腰を落とし、教祖を見詰めた。かつての脂ぎって精気に満ちた顔が、今は見る影もなく干からび、不安と焦燥にかられる小心な男のそれがあった。手に握る手紙が小刻みに震えている。
「何度も聞くが、この手紙を読んだのはお前一人なんだな。」
「そうです。いや、うーん、こっちに戻ってすぐに重雄と二人で檻に入りましたが、最初に手紙を発見したのは重雄です。しかし、重雄が手紙を手に持って読んでいたのは数秒です。すぐに奪い取りましたから。少なくとも後半のあの部分は読んでいないと思います。」
「さて、それはどうかな。もしかしたら読んでいるかもしれん。それとなく重雄を見張れ。とにかく、問題はその後半の部分だ。」
「全く頭が混乱するばかりです。」
「今、人を動員して満を探している。もし、満を発見したらどうしたらいい?」
「そのことが問題です。もし拘束したりすれば、だんまりを決め込むでしょう。」
「つまり、満が手紙に書いた筋書きを反故にするということか?だが、それでは満も座して死を待つばかりだ。」
「私は彼を良く知っています。彼の狂気は死の恐怖にもまさります。彼は絶望の淵をさ迷っています。まして我々は……」
と言って片桐は口をつぐんだ。
「はっきり言っていい。我々は満をここに置き去りにした。満は心の底では私を許していないと言いたいのだろう。分かっている。」
「はい、彼を拘束するのは愚の骨頂です。彼の思い通りやらせましょう。ですから、見つけたら、見張ります。そして守るのです。」
「どういう意味だ?」
「つまり、警察から守るという意味です。警察に逮捕されれば、彼は来るべき日にここに戻って来られなくなります。だから警察から守るのです。」
「そうだな、それしかないかもしれない。よし、それでいい。こうなったら、なんとしてでも、満を警察の手から守りぬけ。いいな、片桐。」
片桐が部屋を去ると、杉田は深いため息を吐き、両手で顔を覆った。何もかもちぐはぐだった。富良野に落ち着き、これで満と縁が切れると思ってほっとしていた。満といると心がかき乱され、一時として心安らぐことはなかったのだ。
あれは、満が中学生になったばかりの頃のことだ。 猫を惨殺する光景を目撃したのだ。思い出すだけで身の毛がよだつ。血だらけの猫は恐怖と怒りに毛を逆立て、必死に抵抗するが、鎖に繋がれているため身動きできず、その体は満のナイフで切り刻まれていった。
満をこのビルに置き去りにしたことに何の後悔もなかった。来るべき時を、息を殺してじっと待っていた。そんな時、樋口から緊急の連絡が入ったのだ。満が逃げ出したという。だから片桐を帰した。
 しかし、片桐はここで満の残した手紙を発見した。その手紙に書かれていたことは、まさに衝撃的だった。それは、天変地異の起こる時期と安全な場所の情報がまったく出鱈目だったということだ。いや時期については幅をもたせてあるだけだが、富良野は、少しも安全な場所ではなかったのだ。何ということだ。「くそっ」と呻き、机を思い切り叩いた。コーヒーカップが音をたてた。
富良野のビルに湯水のように投じた莫大な金と最新の科学技術が一瞬で瓦礫の山になるということだ。しかし、考えてみれば、それも生きていてこそ価値がある。死んでしまっては元も子もない。
満は杉田や片桐が自分を捨てて富良野に逃げたことを知っていた。それでも許しくれた。しかも、今度こそ確実に安全な場所に案内するというのだ。満とは一蓮托生なのかもしれない。こうなるよう運命付けられていたのだ。

    (三) 
 こうした偶然もあるのかと驚き呆れながらも、石井は迷った。ターゲットである不倫カップルは高円寺駅を出て雑踏に紛れようとしている。一瞬、龍二の苦虫を噛み潰した顔が浮かぶ。しかし、石井はこの偶然に引き寄せられた自らの運命に心惹かれた。
 カップルとは逆方向に歩む坂口さくらを発見したのだ。石井の財布から10万円をくすね、ホテルから消えた少女だ。少女は監禁された少年を救い出したらしい。石井は不倫カップルの尾行を諦め、踵を返しさくらの後を追った。
 さくらは、行き交う人々をきびきびと避けながら歩いてゆく。買い物袋が重いらしく肩を大きく傾けている。石井は顔を知られているが、つけるには楽な相手だ。さくらに警戒心はない。
 しかし、石井は、自分以外に、さくらをつける二人連れの若い男達がいようなど思いもしなかった。二人の男達は距離を置いてつけていたのだが、後続の一人がさくらの後を追う石井の存在に気付いた。そして男は石井の後ろにぴったりと張り付いた。
 さくらは10分ほど歩いて木造の二階建てアパートの一室に消えた。石井は正面に出て灯かりのついた部屋を見上げた。さくらが入り口のドアを開けた時、部屋から灯かりが漏れていた。誰かが部屋にいたことになる。あの少年がいるのだろう。
 石井は後悔していた。さくらや少年の居所が分かったとして、それが何になるのかということである。悟道会にとって少年がどんな存在だったのか、また悟道会が少年を監禁したという事実が何を意味するのかも全く分からないからだ。
 だとしたらビジネス対象である不倫カップルの写真を撮ることの方が今の自分には重要な仕事だったのではなかったか。予言のことなど忘れようとしながらやはり予言に関わることを優先させてしまった。苦笑いして呟いた。
「今の俺には関わりのないことだ。」
石井は歩き出した。深いため息をつき、そして母に語りかける。
「母さん、本当に予言は当たるの。この日本で、生き残れるのが稀だという大災害が本当に起こるの?どんなの?」
深い紺色の夜空は星星が煌き、魂が吸い込まれてしまうような深深とした天の海が広がっている。その彼方に母親の面影を求めた。ふと、母親が死ぬ前に語った言葉を思い出した。
「死後の世界は本当にあるのよ。私の方が先にあの世に行くから、そこから真治のことをずっと見守ってあげる。」
今も見守ってくれているなら、予言の真実を知らせてくれてもよさそうなのだが、秘密の門はぴったりと閉ざされたままだ。いったい何時それが起こるのか、それが問題だった。そういえば、ふと、母が霊とやりとりする姿を思い出した。
その時、確かに母は霊の姿を見ていた。小学生5年のある日、家に帰ると、母がソファに座り、目を閉じて誰かと話している。部屋には誰もいない。
「そうなの、自殺したの。神様はそれを一番嫌うのよ…。でも大丈夫。一生懸命祈りなさい。祈りによってその袋小路にも道が開けるはずよ。うーん、祈りの言葉は、何でもいいの。ようは自分の非を認め神様に許し請う必死な気持があればいいのよ。きっと道が開けるわ。うん…うん…」
目を見張って母親を見ていた。しばらくして、話が終わったらしく、目を開け石井に視線を向けた。石井は今日こそ聞いてみようと心に決め、待ち構えていた。
「お母さんは幽霊が見えるの。」
「ええ、見えるわ。」
「怖くない。」
「怖くなんかないの。だって幽霊だって人間と殆ど変わりないもの。」
「でも、幽霊は人に取り憑いて悪さをするって本で読んだことあるよ。」
「そうね、そういうこともあるかもしれない。でも心のしっかりした人には霊は取り憑けないの。」
「何で?」
「悪い霊は、悪い思いを抱いている人に乗り移るの。だから悪い思いを抱いていない真治には乗移れないわ。だから人を憎んだり、恨みを抱いたりしてはいけないのよ、分かった。」
 確かに母はあの世のことを知っていた。でもこうも言っていたのである。
「あの世は、あの世の人しか分からない。でも、あの世の人も本当のところは何も知らないの。詳しく聞けば聞くほど、困ったような顔をして曖昧に笑うだけ。まして生きている人間には知りようがないのよ。」
 しかし、その後、石井はあの世を実際に見てきたように語った人物のことを知った。大学時代、石井は彼の著作に夢中になった。彼の残した膨大な著作は、この日本において数多く邦訳され、その真価を問われ続けている。
 彼の名は、エマヌエル・スエデンボルグ。彼は終生政治家として過ごしたが、科学者としても様々な分野において先駆的な業績を残した。しかし、彼の人類に対する最大の貢献は、あらゆる分野の先駆的人々、例えば宗教家、思想家、科学者、小説家等に多大なインスピレーションを与えたことである。
 科学者としての彼は当時でも高く評価されていたが、現在に到って18世紀最高の科学者として再評価されている。それは図書館に奥深く眠っていた彼の著作が現代語訳され、彼の研究が当時の科学レベルを遥かに超えていたことが今日の科学者達を驚かせたからである。残念ながら、当時、彼の研究を引き継ぐ者はいなかったのである。
 しかし、彼の「人類に対する最大の貢献」は、奇妙なことなのだが、彼の残した霊界に関する膨大な著作によって為されるのである。彼は56歳にして、生きながらにして死後の世界を探訪する能力を得て霊の世界の様子を語り始める。そして死後の世界を科学者の冷静な視線で観察し続け、緻密で整合性をもった霊界を描いた。
 実は、スエデンボルグの語った霊界はユングの集合的無意識に繋がるのである。石井は霊界がユングの言う集合的無意識の中に存在すると考えた。そしてある時、そう考えたのは石井だけではなく、ユング自身もそう考えていた節があることに気付いたのである。
 実は、カール・G・ユングは、医学生の頃からスエデンボルグの著作を読みふけり、彼に心酔していたのだ。そして彼はその著作の中ではっきりと「集合的無意識は、」「心霊的内容」を含むと明言しているのである。
 ユングは明らかにスエデンボルグの語る「霊界」から「集合的無意識」のインスピレーションを得ており、石井と同じようにスエデンボルが語った「霊界」が集合的無意識という大海に存在すると考えていたと考えられるのである。
 そう、大河の一滴が戻るべき『母なる海』とはこの集合的無意識なのだ。人は長い旅路を終え、この無限の大海に身をゆだねる。多くの縁のある者たちに囲まれ、静かな穏やかな日々を送る。
いや地獄界ではそうもいかないかもしれない。罵りあい、憎しみあい、傷つけあう日々なのだろう。そしてある日、宿縁によって結ばれた人々が、天界から或いは地獄界から、新たな魂の修行の旅に出る。「オギャア」と産声をあげるのだ。

石井はこの考えを誰にも話してはいない。いや大竹にその一端を話した。大竹の反応は芳しくなかったが、それはそれで致し方ない。誰も見たことのない霊界の話など、まともに聞く気にはならないだろう。
ああでもないこうでもないと熟考する石井は、若者が後をつけているのに全く気付いていない。若者はさくらの後をつけていた二人の内の一人で、石井が何者なのかを探ろうとしている。思考を重ねる石井は大災害のことはすっかり忘れていた。
 


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