ケイタイの向こう側の友へ

     

第二章 

 会議室は重い空気に包まれていた。四方田の会社は土木コンサルタントを業としている。一般にはあまり知られていないが、公共工事は設計と施工が分離されており、工事はゼネコンが受け持ち、その設計を担当するのが土木コンサルタント会社である。
受注の落ち込みは、今年受注を予定していた仕事が先送りされたのが原因だが、社長一派はしきりに経営危機を言い募り、昨年 暮れから噂に上っていた人員整理の必要性を匂わせている。四方田の首筋はやけに涼しい。ある程度覚悟は決めていたが、少しでも先に延ばしたいと思うのは人情である。
社長が厳かに宣言する。
「兎に角、全社をあげて受注努力するしかない。安西営業部長、今度の全国営業会議で今期末の受注予測を上げさせてくれ。その数字によっては何らかの対策を検討するしかない」
 会議室から出ると、後ろから声を掛けられた。振り向くと安西部長がにやにやしながら話しかけてきた。
「どうだ、一杯行くか」
「ええ、お供させて頂きます」

 いつもの神田駅ガード下の居酒屋でまずは生ビール。かちりとグラスを合わせる。安西が口の周りにビールの泡を残したまま口を開く。
「安心しろ。人員整理はもう少し先の話だ。とりあえずは給与カットだろう。」
「本当ですか。あの雰囲気ではすぐにでも首切りが始まるんじゃないかと思っていました」
「首切りだって闇雲にやるわけにはいかない。まずは、給与カット、その次に希望退職者を募り、最後に指名して退職を説得する。俺も銀行でただ飯食ってきたわけじゃない。こう見えても苦労しているんだ。いずれにせよあの社長はやるつもりだ。」
「ええ、僕もそう思います。僕なんて真っ先に指名される口ですよ。社長のあの一言はお話ししましたよね」
「ああ、社長がお前を首にすると言ったという話だろう。普通じゃないよな、あの人は。しかし、何かあったのか、社長と?いや、社長の早稲田嫌いは有名だけど、お前にはちょっときつすぎるよな」

 そう聞かれて四方田も首を傾げざるを得ない。だが、まさかあんなことで、と思う出来事が無いわけではない。それはまだ社長が専務であった頃のことである。内線電話で呼ばれて専務室に入っていった。専務は顔をあげると、机の上に置いてある本を四方田に示し、唐突に
「この本に良いことが書いてある。この作者の主張は俺の考えと全く同じなんでびっくりしたんだ。俺は何年も前からこの会社の大改造を考えていたんだが、それがこの著者の主張と寸分違わない。まったく驚いたよ。とにかく、お前も読め」
と言って作者名、題名を読み上げた。巷で噂のガラガラポンとかいう本だ。てっきり貸してくれるのだと思い、
「はい、分かりました。何日かお貸し頂けますか…」
と言ったのだ。
「馬鹿野郎、本くらい自分で買え。この本は俺の書庫に収めるんだ」

 当時、四方田は公団関係の営業をしていたので、外回りのついでに本屋に立ち寄りさっそくその著作を探した。しかし、なかなか見つけられずに日にちが経っていった。営業を終え5時過ぎに本社に戻れば、公団の関連会社に提出する見積書作成で毎日11時近くまで残業だった。ならば毎日のこのこ営業になどで出かけず、朝から事務仕事に専念すれば良いのだが、どうも根が真面目なのでそれが出来ない。毎日やることが多すぎて本のことを後回しにしたのがいけなかった。
 何にでもタイミングというものがある。そのタイミングを逸してしまったのだ。専務も何事もなかったような顔だし、あの本どうだったとも聞いてこない。一月も過ぎると今更の感は拭えない。「専務はあんな風にお考えだったのですか、まったく凄いとしか言いようがありませんよ」などと歯の浮くようなおべんちゃらなど言えるか、と四方田の天の邪鬼が囁く。そして、ほったらかした。

 安西の顔が目の前にあった。
「おい、何を黙り込んでいるんだ」
「いえ、何でもありません。ところで、部長は今年の8月で定年ですよね。社長から慰留されていると聞いてますが、どうするんですか?」
唇を引き結び少し黙ったが、安西はきっぱりと言い切った。
「もう、たくさんだ」
と。そして酒をあおった。
「とにかくあの常務会の雰囲気、俺、疲れちゃうよ。社長の自慢話を聞く度に、もう何遍も聞いたって怒鳴りたくなる。そのくらい耳にタコが出来てる。それにくだらない冗談にいの一番を競って高笑いしなけりゃならないってのも気にくわない。こんな会社に誰が残るもんか」
「分かりますね、その雰囲気」
「そうだろう、もう沢山だって気にもなるよ。でも、社長の取り巻き連中は疲れないのかね。あんな人とずっと喋っていて」
「そりゃ、我慢もしますよ。あの人の覚えめでたければ出世と金がついてくるわけですから」
「じゃあ、お前も耐えられるのか?」
「まさか、でも私が転職組でなくて生え抜きだったら、変わってたかもしれませんよ。私でも出世はしたいと思ったでしょうから」
「それはないな、お前は、お前だろう。あの人とは絶対に合わない」
 確かにその通りだと四方田も思った。たとえ生え抜きであっても、別の人間の御輿をかついでいたはずだ。そして、あの男が社長に就任している現状を考えれば、今頃は地方に飛ばされているか、辞めさせられていたか、のどっちかだろう。


 2月末、部長、課長、給与15%カット、それ以下は10%カットが言い渡された。四方田は安堵のため息を漏らした。当分首は繋がったのである。いずれにせよ、後がないということを女房に話さなければならないとは思うものの、出来る限り先に延ばしたい。
 今日は部下の真弓が相談したいことがあるというので、早めに仕事を切り上げ、二人していつもの飲み屋へと向かった。真弓は30代に入って三年ほどたつ。有能で何でもそつなくこなすが、仕事に対してはどこか醒めている。美人ではないが、男っぽくて話していて面白い。しかし、サンマの塩焼きを頭からかぶりつくその姿に思わず目眩を覚えたものだ。

 その真弓が非難めいた顔をして口を開く。
「課長は、少し強引なんですよ。洋子が辞めたいって漏らしていましたよ、どうすんですか、洋子が辞めたら。人員増なんて認められませんよ、きっと」
真弓が四方田に睨め付けるような視線を浴びせる。ああ、あのことかと納得がゆく。四方田が進めたプロポーザル対応策に洋子が苛立っていたのは薄々感じていた。
「例のプロポ対応のシステムの件か?まいったな」
「課長だって、知っていたんでしょう、洋子がエクセルでプロポ対応のシステムを作っていたのを。洋子はそのために技術部と何回も打ち合わせしてきたのよ」
四方田は憶え立てのデータベースソフト、アクセスで洋子の倍速のシステムを組んでいた。
「悪かったと思っている。明日にでも謝って、プロポ対応はアクセスとエクセルの両方を使うことを説明する。アクセスは全員に配置されていないのだからね。それより、サンマの塩焼きは食べないの」
「もー、課長でしょう、私がサンマの塩焼きを頭から丸かじりするって噂を流しているのわ。一緒に飲んだこともない技術の若い男の子が知っていて凄いですねってこの間話しかけてきましたよ」
「えー、話してまずかったのか、真弓の男らしさが表れたエピソードだと思うけど」
「課長、とうは立っていますけど、これでも女なんですからね、これからは女らしさをアピールしてくださいよ」

 ここ数年、国土交通省は官製談合の批判を受け、指名競争入札から一般競争入札に、そしてプロポーザル方式へと入札制度を変えてきた。洋子や四方田がない知恵を絞ったのはこのプロポ対応策なのだ。このプロポに対応しなければ、コンサルは生き残れないのである。
 しかし官庁は入札のやり方を変えてはいるが、その思惑は昔と少しも変わっていない。官庁は民間企業に天下りしたOBにお土産をつける。OBを受け入れた企業に報いるためだ。つい最近まで、入札に指名された業者は官庁側にお伺いをたてていた。どの企業を受注させればいいのでしょうかと。この官庁側の指示を意向と言う。意向には誰も背けない。
 しかし、官庁側は全てに意向を振りかざすのではなく、時おり業者間で決めろということがある。そんな時、業者は順番や指名回数で受注業者を決めるのである。官製談合が問題になると、誰でも入札に参加できる一般競争入札が導入されたが、落札額は低下の一途を辿り、それに伴い成果品の質が低下するという弊害が表面に出てきた。
 最後の真打ちがプロポーザル、つまり、指名業者に仕事の手順、問題点、解決策を提案させその優劣を評価して決めるという方式が採用された。何のことはない、結局官庁側の意向がズバリ生きてくる。受注した企業のプロポーザルの評価点が最高だったと言えばいいのである。まったく手を替え、品を替えである。

「それより、真弓、暮れの忘年会の時、社長が俺に言った一言、覚えている?」
「勿論、さすがの私もびっくり。普通、社長があんなこと言います?社員に向かって。たとえ酔っぱらっていたとはいえ、口にすることじゃありませんよ」
「まったくだ。でも、いずれ、社長の言葉は実現すると思う」
「課長、そんなこと仰らないで、頑張ってくださいよ。課長がいなければ、この会社、立ちゆきませんよ」
「そんなことあるもんか、誰がいなくなっても、最初は滞ることがあっても何とかなるもんだ。でも、俺も、引継だけはしっかりしてゆくつもりだ」
「冗談、言わないでください。課長のノウハウ、一年や二年で引き継げるものじゃないでしょう」
「いや、そう思っていない連中も多い」

 あの連中の顔を思い浮かべた。社長の取り巻き連中だ。苦い思いをこれまでどれだけ飲み込んできたことか。真弓を帰し、一人で飲み続け、結局最終列車だった。電車の入り口に立ち、ガラスに頬をあてて走り去る夜景を見ていた。酒量の限界を越えると悪態がこぼれ出る。
「プロポーザルの仕様書が3800円だって、ざけんな、20枚やそこらのコピー代なんて100円もしやしない。点数稼ぐために応募しなけりゃならない業者の足下を見やがって。それより、キャリアは頭が良いだって。冗談じゃねえ。国家公務員の上級試験なんて、左脳の論理力と記憶力のテストであって、社会で本当に必要とされる右脳の直感力、創造力はその範囲外だ。奴らを民間で使ってみろ。大半が落ちこぼれる。 渡りの退職金にも頭にくる。その退職金は税金だぞ。自らは何も生み出さず民間の上がりを食い物にする吸血鬼みたいな奴らだ。それが人生、たった一度の試験の代償だって、冗談じゃねえ。
 ノンキャリアの民間天下りも度が過ぎる。百年続いた官の澱みが民を押し潰そうとしている。民はノンキャリアのOBがいなけりゃ官から受注も覚束ない。官の発注はあらゆる業界に及ぶ。有樹の勤める会社の親会社、その一流企業だって例外じゃない。
 民間では想像を絶するほどの数の年老いたOBを抱えている。経済学者よ。そいつらの給与総額をGDP換算してみろ。そいつらを辞めさせれば、その何倍もの若者を養えるはずだ。いや、国土交通省なんて可愛いものらしい。厚生省はもっとひどいって話だ」
 電車の中、ぶつぶつと呟く四方田へ、周囲から不安げな視線が注がれていた。

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