ケイタイの向こう側の友へ

     

第四章 

 ようやく水谷と呑む機会を得た。帰りがけ、「おい四方田、花見に行こう、花見に」と誘われた。四方田は相好を崩し、いそいそと帰り支度を始めた。年度末で忙しそうな水谷の様子をそれとなく窺っていたのだが、どうやら仕事の目処がったったらしい。
 水谷が先に立ち本郷通りを大手町方向へ急ぎ足で歩いて行く。しばらく行くと神田橋の交差点にでる。首都高の神田橋出口にこじんまりとした公園があり、そこには5本の背の高い桜の木が枝を広げ満開の花を咲かせていた。公園に足を踏み入れると、ちらほらと花弁が舞い落ちる。二人して立ったままぼーっと眺めていた。ぼそっと水谷が呟く。
「俺は桜の散り際が好きなんだ。一人抜け二人抜けって、まるでこの世からおさらばしてゆくみたいだ」
「俺も好きだ。いつだったか狭い桜並木の道で桜吹雪の中を歩いたことがある。舞い散る花も、地面から舞い上がる花も一緒になって花びらのトンネルを造るんだ。あんなの見たこともなかった。幻想的でこの世のものとも思えなかった」
「へー、それは凄い光景だね。でもそれじゃあ、散りすぎだよ。そうじゃなくて、そこはかとなく散ってゆく様が好きなんだ」
「俺もそこはかとなくこの会社から散って行きそうな気がする」
「おいおい、急に現実に戻るのかよ。せっかくの花見がだいなしだ。さて、現実に引き戻されたところで花見も終了ってところかな。さあ、一杯行こう」
「えっ、もう終了かよ、早すぎるんじゃない」
「花見より酒飲む時間の方が大事だよ。すぐそこに旨い魚を食わせる店がある、今日はそこにしよう」

 席に着き、ビールで乾杯するとすぐに水谷が言った。
「見たよ、あの場面。確かにシェーンは死んでる。認めざるを得ない。四方田から聞いて気になって気になってしょうがなかったけど忙しくて見る暇がなかった。で、ようやく先週の日曜日、ビデオ屋に行って借りてきた」
 西部劇で「シェーン」という往年の名作がある。少年の「シェーン・カムバッーク」という声が妙に切なく響きわたり、振り向きもせず立ち去る男の後ろ姿が哀愁を帯びていて思わず涙してしまうあの映画だ。しかし、この映画はその場面で終わるのではない。エンデイングの最後でシェーンの体が馬上で傾き始め、仕舞いには馬の背から落ちそうになったところで終わるのである。
「四方田、もし、あの映画を見た直後の若い頃だったら、そんな結末認めなかったと思うけど、この歳になって見れば、シェーンの生き様、死に様もなんとなく分かる気がする」
「そうかー、俺には分からない。シェーンは悪人達との撃ち合いで、体の何処かを撃たれていたわけだろう。だったら、イテテテ、奥さん、ちょっとここんとこ手当してくれませんか、とかなんとか生きる手だてを考えるべきだった」
四方田はおどけて言った。
「四方田、それじゃ映画にならないじゃないか。最後のあの名場面だって生まれなかった。いいか、シェーンは人妻である牧場の奥さんに恋心を抱いていた。子どももシェーンになつき彼に憧れを抱いている。あの時、旦那は悪人達に挑発され受けて立つと息巻いて出掛けようとした。それを妻がシェーンに止めるよう懇願する。シェーンと旦那は激しく殴り合う。そして、シェーンはかろうじて旦那を殴り倒したんだ」
「ああ、良く覚えているよ、あのシーン。印象的だもの。旦那はシェーンの妻に対する淡い恋心に気付いていたし、妻もシェーンのことは憎からず思っている。だから旦那はシェーンを本気で殴り倒してしまおうと思った」
「そうだ、旦那は悪人達との勝ち目のない喧嘩に出掛けようとした。自分が死んでも、シェーンがいる、そう思っていた。だから、あの時、シェーンに殴り倒された旦那を介抱する奥さんの背中を見て、シェーンは自分が死ねばいいのだと思ったんだ。愛する人達、旦那と奥さんと少年、3人の家庭を守るために…、うっ、いかん、涙がこぼれてきた。ちょっと待って」
水谷が指先で涙を拭う。そして続けた。
「いいか、何度も言うけど、シェーンは愛する人達のために死んでも良いと心に決めていた。だから一人荒野で屍を晒そうと満足だった。」
「そっかなー、やっぱり傷の手当ての方が…」
「うるさいなー、それじゃ映画にならないって言ってるだろう」
四方田はからかうように言った。
「それじゃあ、こうしよう。シェーンはあの後、馬から落ちて荒野に倒れていた。そこに幌馬車隊が通りかかり、シェーンを救う。ガッタンゴットンという幌馬車のたてる音に目覚め、ふと目を開けると美人の若い娘がシェーンを看病していた、っていうのはどお?」
二人はぷっと吹き出し、それから腹を抱えて笑った。映画の話は尽きず、その後は西部劇の名作の数々が話題に上った。
 二人の話題は映画に限らず、古代史、宇宙、物理学と多岐に渡る。互いに雑学の徒でそうした本を読みあさり、難しい話題はおぼろげな記憶を辿っての語らいだから、推論の上に推論を重ねているに過ぎない。でも、本人達は楽しくてしょうがないのだ。仕事の話などめったにしない。
 しかし、目指す大学の試験科目に数学がないと知り、早々に数学を捨てた四方田と違って、水谷は国立一期校卒だから、物理に関してはさすがに物知りだった。光を伝えるとされたエーテル仮説に話が及ぶと、水谷は、
「それマイケルソン・モーリーの実験結果だろう。あの実験方法はだなー、つまりこうだ」
などと、四方田が読み飛ばしていた実験の方法をこと細かく語るのだった。その時も、四方田はチンプンカンプンで聞き流したのだが、高校でもう少し勉強していればなどと後悔させられたものである。しかし、その日は、いつもと違った。水谷が、ふと押し黙り、ため息を漏らした。そして、さらりと話題を変えたのである。
「俺の仕事の話で悪いんだけど、もしかしたら、俺、重大なミスを犯したかもしれない。今日そのことに気付いたんだ。下請けに確認すればすぐ分かるんだけど、今日担当の海老沢が休みだった。早速、明日、確認するつもりだ」
「本当か?それは心配だな。でも、可能性は半々なんだろう」
「いや、今回は、いやーな予感がする。それに知っているだろう、ミスを犯すとどうなるか。そっちの方が心配だ。うちは奥さんが金貯めるの苦手だから、給料入ってこなかったら、途端に飢え死にしちゃうよ」
 社長が新方針を打ち出したのだ。ミスを犯し会社に損害を与えた場合、懲罰として一ヶ月から三ヶ月の自宅謹慎、その間給与はなしだ。何とも酷い仕打ちだ。愛情の欠片もない。むらむらと社長に対する憎悪が膨らんでゆく。そしていつもの通り爆発した。四方田の口から堰を切ったように社長批判の言葉が奔流のように飛び出した。
 鬱積したものを一気に吐き出そうと、四方田は話し続けた。水谷が相づちを打ち、口を挟むが、その言葉さえ四方田の耳に入っていない様子だ。水谷は手酌で杯を満たし、聞くだけ聞くしかないと覚悟を決めた。
 四方田の言うとおり、社長のこの方針は技術系社員の仲間意識に楔を打ち込んだ。ミスの原因を互いになすりあう。上司は「責任は俺が負う」と言う言葉を飲み込み、社長の先兵とばかり部下の責任を追求する。
 四方田はひとしきり話すと、ふーとため息を漏らした。しゃべりすぎた自分を恥じているようだ。煙草をとりだし、口にくわえたまま、再びため息を漏らす。水谷が話題を変えた。
「そういえば、四方田はすぐ興奮する質だけど、よく社長の虐めに耐えていると思う。偉いよ」
「人間、誰しも学習能力はあるってことさ。俺、会社辞めるとき、人を殴ったことがある。その時大変な思いをしたんだ。暴行で刑事告訴するって脅され、金を取られた。社会人は暴力をふるったら終わりだ」
「えっ、そんなことあったのか?」
「ああ、男社会の虐めは冷酷で陰湿だ。女のそれなんて可愛いもんさ。親分の顔色をみて、子分共が先を争って虐めに走る。だからこの会社には殴りたい奴はたくさんいる。俺も不安なんだ。何時自分が切れるか分かったもんじゃないからね。」
「でもよー、あの社長にだって優しいところがあったんだぜ。昔のこと覚えているから、俺は四方田みたいに社長を憎めない。四方田の気持ちも分かるけどよー、もう少し冷静になったほうがいいよ。いつも憎悪むき出しにしていると仁王様みたいな顔になっちまうぞ」
「ああ、もうなってる。ほら、額に二本の縦皺があるだろう。これ、すっげー深く刻まれていて普段でも取れなくなっちゃった。俺の社会生活の歴史が刻まれているみたいだ」
 水谷が四方田の顔を覗き込む。
「あれー、本当だ。今まで気付かなかった。これは珍しい額だなー、くっきり二本縦皺が入っている」
 その後、二人はいつものように時を忘れて飲んで語った。店を出ると人通りもまばらで、終電近い時間だということに初めて気付いた。神田駅までの道を急いだ。杉田は遅れて歩いてくる水谷を振り返って「水谷さん、急いで」と声を掛けた。「おう」と答えたものの、心なしか水谷の表情が暗い。
 たまたま稲荷神社の小さな祠の前に来ていた。四方田は人通りの少ない時を見計らって時々手を合わせる。四方田の先祖と縁の深い神社だ。この近くに佐竹藩の江戸屋敷があり、或いは四方田のご先祖様もここにお参りしたかもしれないと思うと無視できないのだ。水谷を誘い、二人して大きく柏手を打ってミスでなかったことを祈った。この時、四方田はこれが二人で飲む最後の機会になるとは思いもしなかったのである。


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