ケイタイの向こう側の友へ

     

第七章 

 四方田は自分を責め苛み、とは言え、あの日、水谷の誘いに乗って飲みに行ったとしても、自分がどれほど彼の力になってやれたか確信が持てぬまま、鬱々と日々をやり過ごしていた。水谷の苦悩の容量など推し量るすべはなく、何も出来なかったのではないかとも思う。
 そうした思いが、社長に対する憎しみを日ごとに膨らませていった。そもそも、水谷をそこまで追いつめたのは社長なのだ。たとえ、水谷がミスを犯したとは言え、部下を失い、孤軍奮闘するしかなかった水谷を、社長一派は非難する資格があるのかということだ。
 四方田は心の中で叫んだ。社長一派の技術者よ。お前等は豊富な人材に恵まれ、会社の支援体制も万全だ。そんなお前等が水谷と同じ状況に置かれたら、それこそ片手をもがれ、片足を失ったら、お前等だったら何処まで出来たと言うんだ。水谷ほどの根性があったのか?家にも帰らず、サウナに寝泊まりし、徹夜を繰り返した水谷と同じことが出来たのか?

 四方田を呼ぶ声に我に返った。見ると、佐伯営業部長が応接室から顔を覗かせ、四方田に部屋に入るよう人差し指を手前に小刻みに折り曲げる。時計をみると、4時半、指定されていた時間だ。
今日は暮れのボーナスの査定に対する不服申し立てだそうだ。何で今頃?という思いはあったが、社長が前倒しを指示したらしい。今朝から、何人もの社員がそこに入り、そしてその己の感情を押し隠すような顔をして出てくる。営業部は先ほどから始まったばかりだ。真弓がにんまりとした顔で四方田とすれ違った。どうやら査定に不服はないらしい。
 部屋に入ると、沈痛な面もちの高橋管理本部長、榊原営業本部長、佐伯営業部長が控えていた。佐伯営業部長は四方田の受け答えをノートする役目らしく、バインダーに挟んだ一枚の紙の上にボールペンを立て既に記入する準備は整っている様子だ
 沈黙が部屋全体を覆っている。榊原営業本部長は視線を合わすこともなく、口をへの字に曲げて押し黙る。査定など期待していなかった。妻にもそのことは言っておいた。最低限が一月分。それは覚悟していた。だから何を言われようと、分かりましたと頷くだけだと思いながら席に着いた。
 高橋管理本部長が重い口を開くときも、そう思っていた。
「非常に言いにくいことだが、四方田君の査定は最低ランクだ」
「それは聞くまでもないことです」
この二人が上司なのだからと言外に匂わせた。貴方なら分かるでしょう、と言いたかった。
「……」
沈黙が重く四人を包み込む。ふと視線をあげると、沈痛な面もちを通り越したような高橋の奇妙に歪んだ顔が目の前にあった。不安が急激に膨らむ。四方田は何か尋常ならざる事態の到来に動揺した。見詰める四方田の視線が、高橋の薄い唇が動くのを捉えた。
「非常に言いにくいことなんだが、会社側は四方田君に辞めて貰いたいと思っている。ボーナスは昨年並みで2.5ヶ月出す。今、応じてくれるなら退職金は20%増ということになる。どうだろう、辞めてもらえないだろうか?」
頭を鉄アレイで殴られたような衝撃に見舞われた。一瞬にして平常心を失った。
「それはどういうことです。辞めろと言うのですか」
狼狽の極みだ。そのものズバリ相手は言っているではないか。敢えて聞くまでもない。冷静な脳の左半分が自分を笑っている。それに反し脳の右半分は狼狽(うろたえ)えていた。
「私には、家のローンもあります。今、辞めるわけにはいきません」
辞める覚悟はしていたが、今ではないのだ。今、受け入れれば退職は3ヶ月先の12月。安西の話では希望退職者を募った後に指名解雇が来るはずだった。退職は早くとも半年先、うまくいけばもう少し生き延びることもできたはずだった。妻にはそう話している。心の準備が出来ていなかった。まして、次の就職先探しも全くしていない。
 四方田が高橋に抗議の視線を向けた。高橋は視線を逸らす。むらむらと怒りがこみ上げてくる。つい数ヶ月前、四方田を守ると言ったばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちに、たとえ社長の命令とはいえ、そんなことを言う自分が恥ずかしくはないのか、と叫びたかった。四方田は侮蔑を込めて睨み付ける。榊原営業本部長が初めて口を開いた。
「四方田君、今、応じてくれるなら、退職金は20%の増額だ。しかし、今を逃せば、そうはいかない。どうだろう、ここで、決心してもらえないだろうか」
榊原は、何度も耳にしている社長の武勇伝の落ちに、即座に大笑いするという特技の持ち主だ。四方田の怒りは頂点に達した。これもいつもの通りだ。売り言葉に買い言葉。
「それこそ不当解雇もいいとこだ。どこまでも拒否します。争うしかないでしょう。こっちには勝つ算段もある」
ぎょっと目を剥く三人を残し、四方田は席を立った。

 数ヶ月前から電子レコーダーを胸のポケットにしまってある。以前、社長室に呼ばれ、散々揚げ足をとられ、愚弄された。佐伯も一緒になってはやし立てた。再びその機会が訪れるのを期待して胸にレコーダを忍ばせていたのだが、それが役に立った。
 勿論、今の会話も吹き込んでいる。これも証拠になるだろう。ぎょっと目を剥いた三人の顔を思い浮かべ、少しだけ溜飲が下がる思いだ。しかし、彼らはこんなことで簡単に首を切れると思っているのだろうか。裁判で勝てると思っているのだろうか。

 実は会社は財務的にはまったく問題はない。長期借り入れはゼロ、短期借り入れは、社長がすぐにでも返せというのを、銀行出身の安西が必死で、おつき合いなのだからそこを何とかと言って押さえてきたのだ。
 会社存続の危機を叫ぶのは、今期の受注減が今後も続いて行くことを前提にしている。それが希望退職者を募るわけでもなく、解雇理由にも触れずに、いきなり指名解雇だ。会社の財務内容が明らかになり、会社側の解雇理由を提出させ、解雇までの経緯が明らかになれば不当解雇の判決は出る。
 しかし、四方田はそれだけでは満足できなかった。社長と社長一派の不当を裁判で白日の下に晒してやりたかった。そうでなければ、社長交代劇からじっと耐えてきた3年という月日が空しくなる。四方田、水谷を含め、社長の虐め、嫌がらせに耐えてきた仲間、いや辞めていった仲間の為にも一矢報いたかった。
 ふと思いついた。あれしかない。あの社長の言葉をなんとしてでも、証拠として裁判所に提出してやるのだ。それが出来れば、社長の歪んだ心の内を完璧に露呈させることが出来る。四方田の心が煮えたぎる。不当解雇の証拠とは「俺はいつか四方田を首にするんだ」というあの言葉である。

 その足で、ビルを出ると携帯を取り出した。昨年の暮れ、あの場にたまたま居合わせた奥園に電話をするためだ。奥園は新潟の公団で施工管理に従事している嘱託社員だ。本郷通りを行ったり来たりしながら呼び出し音を聞いていた。奥園はしばらくして出た。
「四方田さんか、珍しいじゃないの、こんな時間に」
「奥園さん、お久しぶりです。あの日飲んで以来ですね」
「あの日?いつだったっけ、最後に飲んだのは」
あの日とは、社長が暴言を吐いた日のことだ。その後、二人して飲み屋にくりだし、社長を罵りまくったのだ。
「社長が僕を辞めさせると言った日ですよ」
「まあ、そんなことがあったような、なかったような。さんざんぱら酔っぱらっていたから記憶も定かじゃない」
惚けている。四方田はそう感じた。
「奥園さん、今日、首を言い渡されました。僕は断固争うつもりです。力になってほしいのです。あの日のことを証言して欲しいんです」
 あの日、奥園はこう言っていたのだ。今年の12月で施工管理は終わるから、その後は引退して畑仕事に精出すと。自宅近くに小さな畑を借りていて、無農薬野菜をつくっていると自慢していた。晴耕雨読の生活が楽しみだとも。
長い沈黙だった。じりじりとその反応を待った。
「申し訳ないけど、事情が変わったんだ。公団の人に頼んで、別の仕事で後2年居させて貰うことにした。四方田君のことは気の毒に思うけど、四方田君は若い、何とかなるよ」
「若くなんてありません。もう56歳です。この歳で再就職口なんてあるわけないじゃないですか」
「そんなことないよ。四方田君は優秀だし、人当たりもいい。ちょっとかっとするところが難だけど、きっと何とかなる。世の中捨てたもんじゃない」
「気休めはよして下さい。どうしても駄目だってことですか?」
「ああ、駄目だ。家庭の事情だ」
家庭の事情と言われれば、押し黙るしかない。誰にも言えない家庭の事情は、それぞれにあるだろう。
「分かりました、無理なお願いでした」
四方田は携帯を切るしかなかった。深いため息を吐いた。
 いつの間にか外堀通りまで出ていた。踵を返し会社に向かう。まだ諦めきれなかった。ふと、真弓の顔が浮かんだ。真弓は会社に逆らうことなど出来ない。つまり証人になることなど絶対にあり得ない。会社を辞めるわけにはいかないからだ。だとすれば、真弓の証言をレコーダーに吹き込めばよい。胸のポケットの塊を確認した。警笛が鳴らされ歩道の信号が赤なのに気付いて後戻りする。信号が青に変わった。四方田は歩道を渡り、ビルに向かって歩いた。

 席に戻ると、事務所全体にざわついた雰囲気が感じられた。皆、浮き足立っている。首を宣言されたのは四方田だけではないようだ。四方田の姿を認めると建築の樋口が近寄って来た。その表情からして同類だとすぐに分かった。
「四方田さん、僕、首にされそうです。それで、あちこち電話して確認しましたけど。営業はどこの支社でもやられています。特に50代の管理職がねらい打ちになったみたいです。四方田さんはどうでした」
「ご推察の通り、首ですよ。参りました」
そう言いながら、ちらりと真弓を見た。真弓は社内の雑音など聞こえないふりをしてパソコンに向かっている。四方田を見ようともしない。今日、飲みに誘うつもりだが、果たして誘いに乗ってくるか不安だった。陽気に振る舞い、真弓の不安を取り除く必要がある。
「おい、真弓ちゃん、俺、首になっちゃった。参った、参った」
とおどけて見せたが、にこりともせずパソコン画面を見詰めながら答えた。
「課長だけじゃないみたいですよ。さっき名古屋支店の角田課長と福岡支店の有川部長から課長に電話ありました。二人ともそんな口振りでした」
「角田も有川もか。さっそく電話してみるか」
席に着くと、受話器をとり福岡支店の短縮番号を押す。有川は一人息子が大学に入ったばかりで、これから金もかかる。深刻さは四方田の比ではない。幸い電話に出たのは有川だ。四方田が名乗ると、待ってましたとばかりにまくし立てる。
「四方田さんか、今電話しようと思っていたところだ。あちこち電話しまくって確認したが、営業部で残れたのは仙台支店の時田だけだ。何であいつがと思ったけど、あいつは社長の腰巾着の榊原営業本部長のお気に入りだ。この会社は、社長とその取り巻き連中のお気に入りしか残れない。しかし、こんな人事が許されると思っているのか。俺は断固拒否するつもりだ。四方田さんはどうする」
「知っての通り、俺は社長から嫌われている。社長一派の嫌がらせに耐える生活にほとほと参っていた。さっきの面談ではついかっとなってキツいこと言ってしまったけど、明日には受け入れるつもりだ」
真弓に聞こえるように幾分声を強めた。
「そんなこと言うなよ。ここはひと踏ん張りしなけりゃ会社側の思う壺だ」
「有川さんだって知っているだろう、俺の立場は。こんな生活していたら、ストレスで胃ガンになっちゃうよ。もう、この会社とはおさらばするつもりだ」
 有川は断固拒否するという言葉を何度も繰り返した。有川の立場であればそうするしかないだろう。この歳で転職をすれば、収入は激減する。息子の大学の学費を捻出するのは難しいだろう。幸い、四方田の二人の息子は数年前に社会に巣立っている。それだけでも有り難いことだと思った。
 電話を切ると、真弓に話しかけた。
「とても仕事している気分じゃない。どうだ、一杯」
探るような視線が返ってくる。あくまでもにこやかに、微笑み返す。
「奢りですか?」
「勿論」
「着替えてきます。もし、いつもの処でしたら先に行って飲んで待ってて下さってけっこうです」
まったく愛想のない女である。何件か電話を入れると事務所を後にした。

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