ケイタイの向こう側の友へ

     

第九章 

 翌日も応接で面接が行われていた。男達が次々とうなだれて刑場へと消える。出てきた時の表情で、中で何が話されたかは分かる。生き方の下手な不器用な男達は間違いなく首だ。暗い顔で応接室から出てくる。
 斜め前で真弓が素知らぬ顔でパソコンに向かう。今朝は朝の挨拶さえ無視された。昨夜のことを思うと、それも無理からぬことと許した。ふと妻の言葉が蘇る。
「この三年、あなた、お酒の量が倍になっていたって気付いていた?私、体壊すんじゃないかって、そっちの方が心配だったわ。あなたもよっぽど苦労したってことね。いい気味だわ。でも、今度のことは、良い機会だって思った方がいいわよ。私も働いてるから大丈夫。だけど、これからもちゃんと働いてよ」
 その言葉を聞いて、すっと肩の荷がおりた。確かに、飲まなければ眠れない毎日だった。思い出すと悔しさで頭が冴える。やつらの襟首を掴んで引き回すことを夢想し、それが出来ないもどかしさでさらに悔しさがつのる。強い酒をあおってようやくベッドに潜り込むだ毎日だった。
 はたまた現実の続きの夢を見て思わず怒鳴声を張り上げ、その大声で妻だけでなく四方田自身も驚いて目を覚ます。もうそのようなことはないだろう。冷たい視線、睨むような顔、すべては四方田がそれをじっと耐えるだろうという前提があってのことだ。しかし、もう我慢などする必要もない。今日は、そんな日々とおさらばする日なのだ。そのすがすがしさに心も体も溶けてゆくようだ。
「何だその顔は、俺に文句でもあるのか?」と大手を振って奴らに啖呵を切れる。そう思っただけで心がとろけそうだった。しかし、満を侍していたその機会はもう訪れないだろう。何故なら彼らの目的は達せられたのだから。今日、四方田は高橋管理本部長が応接室から出てきたら辞意を伝えるつもりである。

 仕事をしながら応接のドアが開くのを待った。何人もの社員が入ってはまた出てゆく。その中での出来事がその人々の運命を決めてゆく。ほっとして頬を緩める者もいるし、ひきつった顔、呆然とした顔を引きずったまま出てくる者もいる。彼らが家庭に帰って、その結果を家族にどう伝えるのだろう。それを既に終えている四方田はほっと胸を撫で下ろした。

 昼休みのチャイムが鳴る。建築のベテラン社員が応接から出ようとして、奥に居並ぶ3人に腰を折って「どうも有り難うございました」と声を掛けた。どうやら、彼は無事だったようだ。しばらくして三人の男達が応接から出てきた。高橋管理本部長、榊原営業本部長、そして佐伯営業部長である。
 四方田はすっくと立ち上がり、三人に向かって歩いた。目を見張る三人。後退る榊原と佐伯。さすがに高橋は踏みとどまった。四方田が三人の前に立った。高橋は虚勢を張るような顔で四方田を睨み付ける。
 四方田はにこりと微笑んだ。高橋はことのなりゆきに戸惑い、きょとんとする。四方田は微笑んだままだ。躊躇しながらも、高橋が微笑み返したつもりなのだろうが、顔が歪んだだけだ。四方田が口を開いた。
「高橋さん、昨日はちょっと興奮して、つい、キツいことを言ってしまい、申し訳ございませんでした。昨日のお話、お受け致します」
 そう言って頭を下げた。四方田の言葉を聞いて高橋の顔が奇妙に歪んだ。そのまま目を閉じると、突如、高橋は四方田の肩を両手で抱いたのだ。そして、感極まったという表情で口を開いた。
「有り難う、有り難う、四方田君、本当に有り難う、僕は君に対して本当に申し訳ないと思っている」
 ことの成り行きに戸惑ったのは、今度は四方田の方だった。男に抱きすくめられるなど初めてのことだ。振り解くわけにもいかず、されるがまま佇んでいた。四方田は思った。高橋も苦しんでいた。社長に命令されて、実直に仕事を遂行していただけなのだ。昨夜は四方田のことで、社長になじられたのかもしれない。

 あの日、安西が言った。「痛い目を見るのは、あんただよ。あの人はあんたを潰そうと虎視眈々と狙っている。常務会の雰囲気で分からないのか?」その言葉の意味がようやく分かった気がした。
 高橋はまさにババをひかされたのだ。辛い仕事を押しつけられ、最終的には高橋自身、辞めざるを得ない事態に直面するだろう。社員から人望を集める高橋は社長の地位を危うくする存在なのだ。小ずるそうにほくそ笑む社長の顔が浮かんだ。
 ようやく高橋の手を振り解き、四方田が言った。
「私も辞めるに当たっては、仕事に支障のないようにしたいと思っています。あと三ヶ月しかありません。後任を早く決めて下さい。出来るだけ、仕事を引き継ぎをしたいと思っています」
またしても、抱き付こうとする高橋の手を今度は振りきって、四方田は踵を返し席に戻った。一部始終を見ていた真弓が話しかけてきた。
「課長、お辞めになる決心をしたのですか?」
「えっ、どうして?昨日そう言っただろう」
「でも、噂では課長が会社と争うって3人に啖呵を切ったとか」
 どうやら真弓には見透かされていたようだ。四方田の意図を察知していて、それを拒否していたのだ。証言は出来ないと。まさか録音されているとは思わなかっただろう。申し訳ないという気持ちで一杯になった。苦笑いしながら答えた。
「ああ、啖呵は切った。でも、じたばたしても始まらない」
しばらくの沈黙の後、真弓が言った。
「昨日、眠れませんでした。うつらうつらして目覚めたのは夜半です。それから色々考えて、結論は、やっぱり課長の期待にはこたえらないってことです。申し訳ございません」
 頭を下げて、そのままの姿勢でうなだれている。微笑みながら四方田は答えた
「いいんだ、俺のほうこそ…なんていうか…まあ、申し訳なかった。兎に角、過ぎたことだ。もう全ては終わったんだから」
 そう、それが理不尽であろうとなかろうと、それを受け入れざるを得ない人々にとって、それは長い人生の一瞬のひとコマに過ぎない。次のステージへ進むためのひとコマなのだ。人生はさらなる道程を残している。


 それからの四方田はマニュアル作りに没頭した。営業管理課の仕事の大半はデータベースソフト・アクセスでシステムが組まれている。アクセスソフトをマスターしなければ仕事にはならない。毎年国土交通省に提出する書類はアクセスから引っ張っぱりだしたデータを、別のシステムに入れ替えるという作業を伴う。マニュアルは必須である。
 そのほかにもあれやこれやの仕事の手順や、その時々に必要な書類は山とあり、それらを申請する役所の住所から地図まで揃えてファイルに納める。そうこうしているうちに二ヶ月が瞬く間に過ぎた。
 一向に後任が決まらず、業を煮やした四方田が佐伯部長に催促した。この頃になると、佐伯は以前の割れガラスのような剣呑な雰囲気がとれて、四方田に対し腰も低く、笑顔を向ける程に様変わりしていた。ある時など、四方田に「いずれ我が身だよ」と呟いてみせた。そう言えば自分の罪も軽くなるとでも思ったのだろうか。
 かつて佐伯とは親しく酒を飲み交わしたことがあった。それがあの男が社長になったとたん豹変した。四方田を心から憎んだのだ。次第に距離があいて、徐々に態度が変わっていったのではない。正に豹変だった。陰湿な虐めが繰り返され、人間、こうも変われるものなのかと驚き呆れた。
 生き残りに賭ける男達の戦いが自ずと陰湿になるのは、古き時代、自分の地所を守るために命を省みず剣を振りかざした男達のように暴力に訴えることが出来なくなったからではないか?ただただ地所を守るという強烈な本能だけが男達に残されたからではないのか?などと考えてしまう。

 ようやく後任が決まったのは退職する3週間前である。たったそれだけの期間で仕事を引き継ぐなど殆ど不可能に近い。呆れてものも言えない気分だったが、その後任人事には驚かされた。新たに営業管理課の課長に就任するのは技術士の資格を持つ、優秀な技術屋だったからだ。
 営業職へ回されるのは技術で使い物にならないか、へまをしでかした技術者と言われてきた。それが何故この男なのかと首を傾げざるを得ない。彼もこの人事に納得していないらしく、引継にも熱が入らない様子だ。発注者から呼び出しがかかると、いそいそと出掛けてゆき、なかなか帰ってこない。そんな時、残業までして引き継ぎをする義理はなく、四方田は定時で退社することにした。
 実はその技術者は高橋の子飼いである。ゴルフコンペのおり、高橋のお下がりのドライバーでかっ飛ばしていた男。四方田はそいつと同じように高橋の運転手をかってでたが、とうとう自慢のドライバーコレクションの一本たりとも貰うことはなかった。彼は社長にへつらうような男ではない。つまり高橋のお気に入りであって社長のそれではない。この人事の裏にあるもの…。やはり、高橋はこの会社で生き残れないと確信した。


 最終日、早めに社内を回って世話になった人々に挨拶を済ませた。榊原と佐伯がいないのを見計らい、定時の30分前に営業部の皆に大きな声で「お世話になりました」と声を掛け、事務所を去った。あの二人にだけはその言葉を掛けたくなかったからだ。
 会社の通用口で毎日挨拶を交わした守衛に退職することを告げ、お元気でという言葉を聞いて微笑んでみせた。本郷通りの歩道を渡り、立ち止まって振り返った。ビルを見上げ、12年間という月日を過ごした空間にしばし名残を惜しむ。そして踵を返すと歩き始めた。
 向かったのは内神田3丁目だが初めての飲み屋である。ちょっとゴージャスな洋風居酒屋で、尻の穴がむずむずするが致し方ない。その日、四方田は、樋口に声を掛けていた。最後に二人で飲みませんかと。樋口はびっくりした様子だが、嬉しそうに誘いに乗った。樋口は水谷が最も親しくしていた男である。
 樋口が指定した飲み屋で一人待つことになった。今日、樋口は退職する仲間と社長室に押し掛けるという。「何しに?」とい四方田の問いに、社長には恨みはあるけど会社には世話になった。だから会社の代表者である社長に挨拶だけはしようと思って、と言う。四方田は呆れて「ばーか」と言ってやりたかった。四方田も誘われたが、社長の顔など見たくないと言って断った。
 しかし、本当に人の良い連中だとつくづく思い、思わず微笑んだ。「だから、首になるんだよ」と心のなかで罵ってやった。樋口が人の後ろに隠れるようにして、おずおずと挨拶の言葉を口にする姿を思い浮かべた。その樋口に語りかけた。
「樋口さん、今日は、二人静かに水谷さんの話をしようよ、そしていつかまた水谷さんと会えるように祈ろう」
 ふと思いだし、携帯で水谷を呼び出した。いつものように、「ただ今、電話に出られません。ピーという音がしましたら、30秒以内に…」という声が聞こえてくる。最後のメッセージを残したのはひと月前だ。その声は水谷に届いているのだろうか。四方田はそっと携帯を閉じた。


 3年後、四方田は久しぶりに水谷の携帯に電話を入れた。水谷の携帯は相変わらず同じメッセージを繰り返している。ピーという音が鳴って、四方田は携帯を切った。四方田が呟く。
「水谷さん、ひさしぶりだったね。けっこう忙しくてさ、思い出す暇もなかった。ご免、ご免。そうそう、この間、安西部長から電話があって、お前の場合、今話題のパワーハラスメントに該当したから、もし裁判に持ち込めば勝てたぞ、その時は、俺も証言してやったのに、なんて言うんだ。今更言われても、もう遅いよねー。
 それと、水谷さんの奥さん、3年経った今でも携帯を解約していないんで安心したよ。奥さんも水谷さんが生きているって信じているんだ。そう、俺も信じている。また二人で酒飲もう、ゆっくり話をしよう。どこからでもいいから、電話してよ。ああ、何処からでもいい・・・・。そう、何処からでもいいんだ・・・・。お、お、俺、こ、こ、怖くはないから、・・・水谷さんなら」


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